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Channel: 那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)
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小説とは

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集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げました) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531 決定版は電子出版される可能性もあることをお知らせします。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。来月の「春名先生を囲む会」でも病院でも治らなかった膝や肩の痛い人をその場で治すそうです。心当たりのある方はぜひ参加して下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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・小説(novel)は,文学(literature)の一形式である

文学のジャンルには,詩(poetry)・劇(drama)・小説(novel)がある。


・小説には,作者(author)がいる。

初期の文学である,神話(myth)や詩(poetry)(特に,韻文詩)は口伝されていたものを誰かが書き留めたものであるため,作者不詳のものが少なからずある(ギリシャ神話,ホメロスの作品,聖書等)が,小説はその名が表すように(イタリア語 novella;新しい種類の物語)18世紀以降に現れた新しい文学形式であるため,作者不詳のものはほとんどない。


・小説には,語り手(narrator)がいる。

物語の視点(point of view)となる語り手には,「一人称の語り手(first person narrator)」と「三人称の語り手(third person narrator)」がいる。一人称の語り手は,「私は」「僕は」など一人称の代名詞(英語では"I")を地の文で使い,作中人物となる。一人称で書かかれている小説の語り手を,作者自身と混同した感想文などがよくあるが,あくまでも作者と語り手は別人格であり,語り手は作者によって創造された人格(persona)である。ただし,一人称の語り手と作者を限りなく同一視することができる日本の小説を,「私小説(private novel)」という。三人称の語り手には,「全知の語り手(omniscient narrator)」や「信頼できない語り手(unreliable narrator)」」などがいて,作中の出来事や人物の心理などについて全て知っている語り手を「全知の語り手」,何らかの事情で出来事や心理が脱落したり,非常に主観的に語る語り手を「信頼できない語り手」と呼ぶ。


・小説には設定(setting)がある。

設定とは,いわゆる5W1Hのようなことである。いつ,どこで,だれが,なにを,どうしたか,ということである。「いつ」は,小説の時代設定である。SFや歴史小説は,設定が現代ではないことがほとんどである。また,小説が出来事を時間順に提示するとは限らない。例えば,村上春樹の『ノルウェイの森』は,主人公がルフトハンザ航空の飛行機に乗っている場面から始まり,過去を回想する。時間順に提示するならば,主人公は最後に飛行機に乗らなければならない。小説が提示する順に並んだ出来事の連続を「プロット(plot)」といい,それを時間順に並べ替えたものを「ストーリー(story)」と呼ぶ。作者は,ストーリーを考え,それを効果的に読者に提示するためにプロット(plot: たくらみ)を考えるのである。「どこで」は,小説の出来事が起こる場所である。作者に馴染みのある場所であることが多いが,実在する場所に似せた架空の場所であることもある。「だれが」は,登場人物である。その中の,1人もしくは複数が主人公(main character; hero or heroin; protagonist)となる。主人公に対して敵対者(antagonist)が設定されていることが多い。敵対者は,社会的な悪を体現していることが多く,読者は主人公が敵対者を打ち破り,小説の結末(ending, denouement)が社会的な善や幸福に導かれることを期待する。そこで,主人公や主要人物が死なないものを喜劇(comedy),主人公や主要人物が死んで終わるものを悲劇(tragedy)という。シェイクスピアの劇では,喜劇は結婚で終わることが多い。


・小説には読者(readers)がいる。

文学(literature)は,文字(letter)という記号(sign)により作られたテクスト(text:織ったもの)からなる。意味とは,テクストが読者に読まれて初めて生成されるものである。つまり,読者がいなければ小説も存在しないと言ってよい。(物理的には存在するが)しかし,作者が小説を書く時点で,自分の小説がどのように読まれるかを想定するはずである。そして,その通りに読んでくれる読者を「意図された読者(intended reader)」や「理想的読者(ideal reader)」という。しかし,記号の意味は,文化的背景や解釈者によって異なり,1つに定めることはできない。例えば,日本語の「公園」により,街中の小さい公園をイメージする人もいる一方,カナダにあるような広い自然公園も公園である。"Park"という英単語により,日本の四角く,住宅に囲まれた狭い公園を想像する英語話者は少ないかもしれない。つまり,記号の意味は,別の記号に左右され永遠に定めることができない。これをポスト構造主義者(post-structuralist)は「差延(differance)」と呼ぶ。作品を一つの記号と見なす場合,作品の意味は「差延」され1つに定めることはできないということになる。作品が「めでたし,めでたし(happy ending)」で終り,読者に明らかな意味を提示するテクストを「閉ざされたテクスト(closed text)」という。それに対し,読者に明らかな意味を提示せず,作品の意図を曖昧なまま読者に提示し,読者に意味を見出させるテクストを「開かれたテクスト(open text)」という。

http://tutankhame.exblog.jp/11352278/ より 従って詩歌の場合、敢えて意味を一つに絞られないように差延の方法を使います。記号論ではコノテーションと呼ばれます。


瀬戸弘幸さんと鳥肌実の講演を見に行った話

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 私が行動する保守のメンバーと一緒に「東村山市議暗殺疑惑事件」を追求していた頃の話である。ちなみに、どのサイトを見てもこの事件を行動する保守のメンバーに持ちかけたのが私であることは出てこない。中田聡の発言に瀬戸さんが興味を持ったから、などというバカなサイトもある。その後の私の窮状から、私がこの事件を追求する起案者だったことを隠したいからだろう。私がこの運動をしなくなったのは突然妻子が失踪し心痛の余り入退院を繰り替えすようになったことと、もう一つの理由があるが、これは多分日本で私の他には日本で2人しか知らないだろう。

私は元々鳥肌実のファンでyoutubeだけでなくCDを購入して楽しんでいた。例のヤマザキパンのシュールな冗談の頃からである。彼は絶対にテレビでは取り上げることの出来ない危険な芸人として知られていた。それは創価学会ネタがメインだったからだ。一つの逸話として本物の右翼が鳥肌実に「お前はいい度胸をしているからうちの右翼に入らないか?」と呼びかけたところ鳥肌は膝を振るわせて「あれは芸ですから勘弁してください」と言ったらしい。

普通は鳥肌実ショーのような名前が付くが、彼の場合は「鳥肌実 時局大演説会」と言った大げさな名前がついている。私は瀬戸さんに彼の芸を見せようと思い彼の所属する小鳥事務所に電話を掛けた。場所は靖国会館だった。ところが一人分のチケットはあったが、もう一人分のチケットは売り切れていた。そこで私は小鳥事務所の事務員に「どうせ鳥肌実のネタは瀬戸さんと私のブログから拾っているのだからどうにかするように」というと、当日靖国会館の受付に行って名前を言ってください。必ずキャンセルする人がいますからそのチケットを用意しておきます、と言われた。

私は瀬戸さんと連絡を取り合って靖国会館に行くと小鳥事務所が云ったとおり二人分のチケットが用意されていたのでそれを買って会場に二人で入った。満員だったので、瀬戸さんは一階に私は二階に座ることにした。面白いことに全員が入るとスタッフが会場の鍵を外から全て閉めてしまうのである。

最初の方では鳥肌実はエロネタで若者たちを笑わせていた。例えば、この前シナに行った時、ホテルの部屋を訪ねて来たチャンコロのお姉さんをバックから攻めて、と言って腰を動かすような芸である。それから鳥肌実の真骨頂が発揮される。ビールを入れるケースの上に立ち「伊丹十三を殺したのは誰だ」と叫んだあとで「創価だ、創価だ、創価だ、創価だ」と連発するのだ。若者たちは大笑いして一緒に連呼していた。

この後援会の途中で瀬戸さんの支持者の店に行くことになっていたので、私は瀬戸さんに携帯をかけて外に出ようとしたが、鍵が外からかかっているので外に出ることが出来ない。そこで再度小鳥事務所に電話して鍵を開けてもらった。瀬戸さんは根が真面目なので、「最初のあのエロネタはどうにかならないかな?」と言うので私は「若者の笑いを取るにはあのネタが必用なんですよ」と答えた。最初の頃の鳥肌実は痩せていたが売れるにつれて貧乏だった時に粗食だったのだろう、グルメになりどんどん太っていった。

 

そこからはタクシーに乗り、瀬戸さんの支持者が経営する料亭に連れて行ってもらった。フグのキモが美味しかったのをよく覚えている。その支持者は「全てを在日のせいにするんですよ」と瀬戸さんは前もって教えてくれたが、話を聞くとその通りで、怪しげな情報はすべて在日のせいにしていた。もちろん飲食費は全てタダだった。瀬戸さんぐらい有名になるとこうゆうスポンサーが何人も付くのだと感心したものである。

続いて近くにあるイベントパブに連れて行ってもらった。そこには50年代から60年代のアメリカの車や俳優、フィギアなどのコレクションがあり、お金に換算すると数億はするだろうとオーナーが案内しながら教えてくれた。女性がステージで歌を歌った後に客の横に来てお酌をするという形態の店で、これはこのブログでも紹介したシネマハウスと同じである。瀬戸さんは小林旭のファンでB面にあるマニアックな歌を歌っていた。また小林旭が事業に失敗して(確かゴルフ場を経営した時のことだと思う)家財道具を処分したときにある縁故があり、小林旭の高級なスラックス10数本をもらったと言って見せてくれた。銀座のテーラーが作ったもので、それを瀬戸さんの身長に合わせて少し短くしてあったが、裾の部分に鉛が入っているので常に皺が出来ないようになっていた。街宣などで人前に立つときには必ずそのスラックスを履いていたものである。

現在は在特会の問題がネックになって交遊はしていないが、もともとは思考の柔軟な人なのでいずれは逢いたいものだ。

堤防釣りをしていて体験した怖い話

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私が大学院を出て郷里愛媛に妻子を連れて戻っていた頃の話である。私は何事にも集中し始めると徹底的にやる癖があり、山菜収集と堤防釣りには本が書けるほど凝っていた。

特に釣りに関しては宇和海では名人と呼ばれるようになったが、私が得意なのはアオリイカ(地元ではモイカと言う)というイカの最高級のものと、太刀魚釣りだった。おそらくこのブログを検索すれば出て来る筈である。よく人はアジ釣りは難しいというが、あれほど簡単なものはない。味は唇が薄いので柔らかな竿を使ってウキが沈んだらただテグスを張るだけでいい。下手な人はウキが沈むと緊張して釣り上げようとするのでバラしてしまうのである。

ある時夜中の3時ごろまで一人で堤防釣りをしていたとき、ある釣り人がやって来て雑談をしたことがある。私は「よく幽霊を見たという人がいますが目の錯覚ですよね」と言ったところ、相手は真面目な顔で、別の堤防では何人もの人が釣りが終わって帰る時に墓地の中を通るたび若い女性の幽霊を見たというので本当でしょう。と言って帰ろうとした。私は突然怖くなって一緒に釣りを終えて車に乗って帰ることにした。

宇和海に限らずミカンの取れるリアス式海岸は石灰岩で作られているために、山から突然海になるため急な坂道を登らなければならい。その途中にはしばしば墓地があるのである。私が釣っていたのは明浜という釣りの名所だったがそこにも途中の坂道に墓地があった。その話を聞いて怖くなった私はその墓地に入ったとたん、浴衣を着た老女を見て、これが幽霊か、と心臓が飛び出そうになったが、冷静に見ると早起きした老人に過ぎなかった。

フロイトは幽霊など不気味なものを感じる理由を次のように述べている。近代科学では否定された原始的な心象である不老不死(普段は無意識の底に眠っている)を刺激するときに不気味な感情が生まれるのであると。

何故か幽霊は美人がおおい。お化けは土地に住み着いた呪縛霊らしいが、幽霊はお菊さんにしてもお岩にしても何故か美人ばかりである。私はもし幽霊が存在するのなら不老不死の証拠なので逆に嬉しいと思う。もしお菊さんが出てきたら一緒に酒でも飲みたい気分である。

 

大川周明とは

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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大川周明といえば東京裁判のときに東條英機の頭を叩いた映像の印象しか残っていない人が多いと思うが、この人物について紹介することにする。

 戦後、民間人としては唯一A級戦犯の容疑で起訴された。1946年3月21日に極東軍事裁判被告人選定委員会に提出された報告書によると、訴追の理由として「扇動的な書物を出版し、講演で変革を訴え、超国家主義的右翼団体を結成」「陸軍が合法的独立国家の中国から満州を奪取できるように、満州事変の陰謀をめぐらした計画」が挙げられている。

 東京裁判には大川は水色のパジャマを着用し、素足に下駄を履いて出廷した。開廷後、パジャマを脱ぎ始めたり、休廷中に前に座っている東條英機の頭を後ろから音がするほどの力で叩いたり(この場面を記録した映像が現存している。東條は最初は苦笑していたものの、何度も叩かれたため睨みつけたという)、「インダー・コメンジー!(「Inder kommen Sie!、ドイツ語で「インド人よ来たれ」の意。アメリカはインディアンを収奪したことを主張していたという説がある)」、または「イッツア・コメディ!(It's a comedy!、戦勝国による裁判に対する不公正を主張した説がある)」、「アイ、アイ・シンク(I, I think)」などと支離滅裂な言動を行ったため、法廷内で失笑を誘った。

 15分間の休廷中、オーストラリアウェッブ裁判長は大川を精神異常と判断し、1947年4月9日、彼を正式に裁判から除外した。大川は米軍病院に入院させられ(のち東大病院、松沢病院に転院)、主治医の内村祐之により梅毒による精神障害と診断された。その後の精神鑑定で異常なしとされたが、裁判には戻されず、松沢病院での入院が続いた。入院中、以前より念願であったクルアーン全文の翻訳を完成する。なお東京裁判終了後まもなく退院。東京裁判で起訴された被告人の中では、裁判終了時に存命していて有罪にならなかった唯一の人物となった。

 

 

その後は、神奈川県愛甲郡中津村の自宅で過ごし、「瑞穂の国」を築く為の農村復興運動に取り組んだ。(wikipedia より)

文中クルアーンとあるのはコーランのことです。これを精神病院の中で全訳したというのは一種の天才だったのでしょう。ちなみに金井勝監督の脚本「城門の蟹」の登場人物は大川周明と安倍定ですが、金井監督の実家の近くに大川周明の家があることから複雑なあこがれのようなものがあったからでしょう。ちなみに安倍定は226事件のような緊張した時代において男女の性愛を露骨にかつ知的に法廷で陳述したことから時代のヒロインとなりました。最後は養老院で静かに息を引き取ったようです。明日は北一輝の話をする予定です。

 

大川周明とは

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大川周明といえば東京裁判のときに東條英機の頭を叩いた映像の印象しか残っていない人が多いと思うが、この人物について紹介することにする。

 戦後、民間人としては唯一A級戦犯の容疑で起訴された。1946年3月21日に極東軍事裁判被告人選定委員会に提出された報告書によると、訴追の理由として「扇動的な書物を出版し、講演で変革を訴え、超国家主義的右翼団体を結成」「陸軍が合法的独立国家の中国から満州を奪取できるように、満州事変の陰謀をめぐらした計画」が挙げられている。

 東京裁判には大川は水色のパジャマを着用し、素足に下駄を履いて出廷した。開廷後、パジャマを脱ぎ始めたり、休廷中に前に座っている東條英機の頭を後ろから音がするほどの力で叩いたり(この場面を記録した映像が現存している。東條は最初は苦笑していたものの、何度も叩かれたため睨みつけたという)、「インダー・コメンジー!(「Inder kommen Sie!、ドイツ語で「インド人よ来たれ」の意。アメリカはインディアンを収奪したことを主張していたという説がある)」、または「イッツア・コメディ!(It's a comedy!、戦勝国による裁判に対する不公正を主張した説がある)」、「アイ、アイ・シンク(I, I think)」などと支離滅裂な言動を行ったため、法廷内で失笑を誘った。

 15分間の休廷中、オーストラリアウェッブ裁判長は大川を精神異常と判断し、1947年4月9日、彼を正式に裁判から除外した。大川は米軍病院に入院させられ(のち東大病院、松沢病院に転院)、主治医の内村祐之により梅毒による精神障害と診断された。その後の精神鑑定で異常なしとされたが、裁判には戻されず、松沢病院での入院が続いた。入院中、以前より念願であったクルアーン全文の翻訳を完成する。なお東京裁判終了後まもなく退院。東京裁判で起訴された被告人の中では、裁判終了時に存命していて有罪にならなかった唯一の人物となった。

 

 

その後は、神奈川県愛甲郡中津村の自宅で過ごし、「瑞穂の国」を築く為の農村復興運動に取り組んだ。(wikipedia より)

文中クルアーンとあるのはコーランのことです。これを精神病院の中で全訳したというのは一種の天才だったのでしょう。ちなみに金井勝監督の脚本「城門の蟹」の登場人物は大川周明と安倍定ですが、金井監督の実家の近くに大川周明の家があることから複雑なあこがれのようなものがあったからでしょう。ちなみに安倍定は226事件のような緊張した時代において男女の性愛を露骨にかつ知的に法廷で陳述したことから時代のヒロインとなりました。最後は養老院で静かに息を引き取ったようです。明日は北一輝の話をする予定です。

 

北一機とは

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集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げました) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531 決定版は電子出版される可能性もあることをお知らせします。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。今月の「春名先生を囲む会」でも病院でも治らなかった膝や肩の痛い人をその場で治すそうです。心当たりのある方はぜひ参加して下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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北一機とは熱烈な天皇崇拝主義者と思っていましたが全くの間違いだということがわかりました。以下wikipediaから引用します。

 

明治維新の本義は民主主義にある」と主張し、大日本帝国憲法における天皇制を激しく批判した。

 

すなわち、「天皇の国民」ではなく、「国民の天皇」であるとした。国家体制は、基本的人権が尊重され、言論の自由が保証され、華族貴族院に見られる階級制度は本来存在せず、また、男女平等社会、男女共同政治参画社会など、これらが明治維新の本質ではなかったのかとして、再度、この達成に向け「維新革命」「国家改造」が必要であると主張した。

 

評価[編集]

 

1906年(明治39年)23才の時に、「全ての社会的諸科学、すなわち経済学、倫理学、社会学、歴史学、法理学、政治学、及び生物学、哲学等の統一的知識の上に社会民主主義を樹立せんとしたる事なり」として大日本帝国憲法における天皇制を批判する内容も兼ねた『国体論及び純正社会主義』を著し、社会主義者河上肇福田徳三に賞賛され、また、『日本改造法案大綱』では、クーデター、憲法停止の後、戒厳令を敷き、強権による国家社会主義的な政体の導入を主張していた。

 

ゆえに、北を革命家と見る意見がある。同時に、北は『日本改造法案大綱』を書いた目的と心境について、「左翼的革命に対抗して右翼的国家主義的国家改造をやることが必要であると考へ」と述べている[7]花田清輝は、北を「ホームラン性の大ファウル」と評している。

 

また坂野潤治は、「(当時)北だけが歴史論としては反天皇制で、社会民主主義を唱えた」と述べ、日本人は忠君愛国の国民だと言うが、歴史上日本人は忠君であったことはほとんどなく、歴代の権力者はみな天皇の簒奪者であると、北の論旨を紹介した上で、尊王攘夷を思想的基礎としていた板垣退助中江兆民、また天皇制を容認していた美濃部達吉吉野作造と比べても、北の方がずっと人民主義であると評した[8]

 

また、北は安岡正篤岸信介にも強い影響を与えたとされている。[要出典]

 

宗教[編集]

 

法華経読誦を心霊術の玉照師(永福寅造)に指導され、日頃から大きな声で読経していた事がよく知られている。北一輝は龍尊の号を持つ。弟の昤吉によると「南無妙法蓮華経」と数回となえ神がかり(玉川稲荷)になったという。

 

『北一輝 霊告日記』松本健一 編 第三文明社 1987年 ISBN 4-476-03127-7

 

1929年(昭和4年)4月 - 1936年(昭和11年)2月28日に妻のすず子が法華経読誦中神がかった託宣を自ら記録したもの。

 

北の日蓮理解や法華経帰依の契機などは、彼の天皇観とともに依然として定説がない。

 

小野洋子と会った話

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集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(決定版が出て、既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げました) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531 決定版は電子出版される可能性もあることをお知らせします。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。今月の「春名先生を囲む会」でも病院でも治らなかった膝や肩の痛い人をその場で治すそうです。心当たりのある方はぜひ参加して下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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私が大学院生の頃だと思う。このブログでも書いたと思うが、本当は文学部の大学院で詩学を学びたかったのに当時は明治以前の文学しか教えていないと知り、寺山修司のような映像なら演劇映像専修で教えてくれると知ってそこを受験して合格した。

最初にアメリカの実験映画(アングラ映画と呼ばれていた)を見たのは中野にあるプランBというイベント会場だった。その映画は全く人間が出て来ず、道端や壁やクモの巣などを露出も悪く、スラッシュパンニング(思い切り早いパンで映像がブレル)や構図も無茶苦茶だった。(これは戦前の小型映画のオーソドックスな美意識に対する批判から生まれたもの)。それを見てこういう映画もあるのだと知り、通い続けたが、会場には私一人かもう一人がいる程度で、しかも寒く風邪を引いた記憶がある。次いで四谷3丁目にイマージフォーラムがあると知り、これも通い続けたがやはり観客は私一人かもう一人ぐらいだった。

そのころ、草月アート・センターでは前衛的な様々な上映会や展覧会が開かれていた。家元の勅使河原宏も前衛的な映像を撮っていたからである。そこで小野洋子の「踏絵」と題する展覧会とフルクサスグループの上映会があった。この時は10人程度の観客がいたと記憶している。ナムジュンパイクの「映画のための禅」を見た後に小野洋子の「Bottoms」を見ていた時のことである。(ちなみにこの映画はミニマルアートの代表的な作品で、歩いている数人の裸のお尻をカット分けして撮り続けたもので、しばらく見ていると不思議な気分になり、お尻の曲線の微妙な違いに酔いしれてしまう)。私の席の真後ろから宝石のネックレスの揺れる音といかにも上品な香水の匂いが漂って来た。振り返ると小野洋子がお忍びで自分の映画を見ていたのである。手元には「踏絵」のカタログがあるが、その時に小野洋子にサインをしてもらえばよかったと後悔している。(ちなみに私は様々なアーチストのサインを持っているが、中でもつげ義春へ出した手紙への返事は私のお宝である。中野の有名な「まんだらけ」に電話して聞いたところでは本人が生きている内は個人情報になるので売ることは出来ないが、死後なら大丈夫、とのことだった。

小野洋子は安田財閥の直系の娘で、前衛アーチストと2度結婚した後でジョン・レノンと出会い3度目の結婚をした。ジョンの音楽には小野洋子の影響が強くみられる。私は“Lover”の簡素で奥深い曲想などは彼女の影響だと感じる。また“Imagine”は今でもアメリカでは放送禁止だと記憶している。というのはこの曲の歌詞は、キリスト教を否定し、私有財産を否定し、当時イラク戦争をしていた時に戦争を否定しているからである。彼は熱狂的なファンの一人に射殺されたが、これがCIAの工作員だったことは今や常識になっている。

いずれにしてもジョンに影響を与えた小野洋子が私の座った席の真後ろに座ったことは今でも記憶の中に強烈に焼き付いている。

 

頭山満とは

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私は呉竹会の会員なので頭山満翁については何度も触れて来た。彼が妻とやり取りした呉竹の歌等々である。彼は北一輝とは全く正反対の天皇中心主義の思想の持主だった。

右翼の元祖と言えば西郷隆盛か頭山満と言われるほど有名な存在である。。西南戦争時には、約500名の旧福岡藩士も呼応して決起(福岡の変)したが、それに参加し尊敬する西郷隆盛とともに戦えなかった頭山らの悔しい思いが、玄洋社の原点になっている。

先日呉竹会の機関紙「青年運動」が届いたばかりなので、頭山満がどれほど天皇を慕っていたか彼の文章を書き写すことにする。

我が日本の天子様は宇宙一の尊い生神であらせられる。そして一切の万物悉く天子様の御物でないものはない。わけても、その最も大切な御宝は、吾々一億の日本臣民である。この天子様の大みたkらである我々臣民の生命は、自分の生命であってしかも自分のものではない。天子様の御為に死すること、それは臣民として大慶この上もないことである。我々は万物の中でも特に人間と生まれたことを天に感謝せねばならぬが、人間の中でも、尊い天子様の赤子として、この万邦に比類なき日本国に生まれたことは凡そこれより有難いことはない。であるから、吾々はこの天から授けられた恩恵に背かぬよう、絶対の誠をいたし、聖恩に報い奉るよう、常に吾と吾が志を励まして、日本臣民たるの本文を果たさければならぬ。如何なる難関があろうと、断じて辟易することなく、如何なる職務にあろうとも、不平不満など云うべきではなく、只々自己の職分に向かって日本国民たる自覚の下に奮励努力することが即ち自己を立て道を行いやがて天子様の御鴻恩に報い奉る所以である。どんな平凡な事でも、人から見てつまらぬと思う事でもよい。自分は自分とし、その仕事を一心に続けて居りさえすれば、そこに他人の真似の出来ない或る尊厳なものが現れて来る。(藤本尚則編「頭山精神」より

この一文を読んで読者の皆様はどう思われるだろうか?

 


猫FIPドライタイプが治った話

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 我が家で飼っている二匹の黒ネコのうち、一匹が徐々に弱っていった。食事を受けつけなくなり、頭がカクンカクンと痙攣し、足が麻痺して動けなくなった。
 そこで「とちのき動物病院」に連れて行ったところ、腎臓が腫れ、エコーで映すと肝臓に腫瘍が数多くある。そのほか血液検査などをして、医者は「FIP(猫伝染性腹膜炎)のドライタイプですね。余命4か月と覚悟してください」と言った。

 

 家に帰ってそのことを妻に報告すると、妻は泣き出した。
それで私は妻に「切れた手足が生えるような奇跡はないが、免疫系の病気なら治ることがある。今日から信心しろ」と言った。
 私は坐禅を組み題目を唱えることを日課にしているが、妻は信仰心が全くない。しかし、猫を一番可愛がっているのは妻である。さすがに私の言うことに従い、毎朝仏壇の水を取り換える役目を引き受け、朝晩3唱だけでも題目を唱える、と約束した。ついでに大好きな「甘いもの断ち」をする、と言い出した。

 私はその時点で既に見性していたので、死ぬときは死ぬから仕方ない、しかしせっかく捨て猫だったのを引き取って我が家で可愛がり、家族みんなに幸せを与えてくれたのだから、出来るものなら助けてやろう、と思い、猫の腹を撫ぜながら「治る、治る」と声をかけ続けた。二カ月後、なんと腎臓の腫れが治まり、エコーに移っていた肝臓の腫瘍の影がきれいに消え、血液検査も正常になったのである。医者も驚いていた。そのことを報告すると妻は嬉し涙を流した。

 不思議なことに、それ以来私が仏壇の前に座って坐禅を組んでいると、その猫が決まってやってくるようになった。ゴロゴロと喉を鳴らし、私の太ももにくっついている。あまりに健気なので、私は猫の手を取って合掌させ、感謝の題目を一緒に唱える。

 犬猫など畜生だ、などと思ってはいけない。人間以外の動物はすべて仏性丸出しである。

 不思議な話のついでに書いておこう。我が家に豆仏壇を置き、その中に本尊を安置したのは去年(2007年)の9月である。その豆仏壇は箪笥の横の鏡台の上に置いた。
ところで、箪笥と鏡台はそれまで猫の遊び場になっていて、鏡台から箪笥に飛び上がったり、箪笥から鏡台に飛び降りたりして、完全に猫の縄張りになっていた。
だから突然そこに仏壇を置いたら猫が仏壇の上に乗るだろう、と私は覚悟していた。しかし、猫は一度も仏壇の上に乗らなかった。ただの一度も、である。
 私が仏壇の前に座って祈ったり瞑想したりしていると、一緒に横に座ってかしこまっている。不思議なものだ、とつくづく思う。

 切れた手足が生えてくる、などという奇跡は起こらないが、癌などの免疫系統の病気は信仰で治る。戦後生まれた怪しげな新興宗教でさえ機関誌を読むとそういう奇跡談のオンパレードだ。おそらく心の持ちようによってNK細胞などが活発化してくるのだろう。医師で西洋医学と東洋医学に精通し、現在春日大社の宮司となっている葉室頼昭の『神道の心』を読むと、神の道に従えば癌など治って当たり前、と書かれている。

いずれにしても死を宣告された我が家のネコは今でも元気で生きている。現代科学では説明のつかない奇跡は間違いなく存在する。(見性体験記より)

このような体験をしたい方はぜひ微笑禅の会に入りましょう。

 

他心通備わる

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他心通備わる

夜、晩酌をしながら妻とお喋りをしているときに、実に不思議なことが起こったので報告する。

私のリビングの壁には維新の志士など、日本のために命を捨てて行動した英雄たちの写真を額に入れて飾ってある。
それで妻に、「この中で誰が一番偉いと思う?圧倒的に凄いのは坂本龍馬だ。西郷さんも勝海舟も高杉晋作も、今で言えば大臣レベルの人物だから、資金も軍事力もいくらでも自由に使うことが出来た。しかし龍馬は一介の脱藩浪人にすぎず、ただ知恵と度胸と行動力だけで、薩長同盟を実現し、大政奉還を実現し、「船中八策」を書いて明治新政府の基本方針まで作った。これはもう圧倒的で、天才と言うか、神そのものだ」

と、様々なエピソードを話していた。
妻は歴史が大好きなので、他の難しい話をすると上の空で聞いているが、この話には興味を持ち、目を輝かせて聞いていた。本来歴史好きなので龍馬のことも大抵は知っている。だから私はより詳細なエピソードを語ることにした。
話が進み、大政奉還のところに来たときだ。およそ次のような話をした。

「龍馬は薩長同盟を実現して幕府を倒す準備を整えた一方、もし日本で内戦がおこれば、イギリスやフランスなどの欧米列強がその隙を突いて日本を軍事制圧し植民地にしようと企んでいることが分かっていたので、内戦は絶対に避けたいと思っていた。
それで、これが龍馬の天才的なところだが、260年続いた徳川政権を断絶させ、全ての権力を天皇にお返しさせる、という驚天動地のアイデアを抱き、土佐藩の要人・後藤象二郎を仲介人として時の将軍徳川慶喜にそのアイデアを進言させた。これが実現すれば倒幕の名目がなくなり、内戦を避けることができる。
ここまでは誰でも知っているが、その裏にはこんな事実がある。手紙が残っているのでこれは本当の話だ。
一介の浪人ながら、龍馬は後藤象二郎の親分のような立場にあり、“もしこの案が実現しない時は、象二郎よ、江戸城から生きて帰るな。その場で切腹しろ”と手紙で脅しつけ、“万一徳川慶喜がこの案を受け入れない時は、俺が慶喜を切る”と述べている。
その覚悟を秘めて龍馬は後藤象二郎からの連絡を今か今かと待っていた。象二郎は死ぬ気で諸大名を説得し、ついに徳川慶喜もこの大政奉還を受け入れた。象二郎はその結果を直ちに手紙にしたためて使者を走らせて龍馬に伝えた。その手紙を読んだ時に龍馬は」

とここまで話しかけたとき、実に不思議なことが起こった。

突然として息がつまり、涙がボロボロとこぼれ出し、とても椅子に座って居れず立ち上がり、大声を出して男泣きに泣き続け、体中の震えが止まらなくなった。その状態が5分から10分も続いたのである。

断っておくが私は「泣き上戸」のような癖は全くない。それどころか15歳から現在までの40年近く涙をこぼしたことは一度もない(優れた芸術作品、映画などを見て感動のあまり背筋に電気が走って涙ぐむことはまれにある)。
私がどれぐらい涙と縁遠い人間かを示す、あるエピソードを紹介する。
私が大学生の時に父は83歳で老衰死した。私は一人っ子で、父が63歳の時に生まれたので父には溺愛され、驚くなかれ、私は高校2年生まで父の布団で一緒に寝ていたほど父が大好きだった。
その父が死んだ時も、涙一つこぼれなかった。それだけでない。父の遺体を火葬場に搬送し、いざこれから遺体を焼く、というとき、これは恐らく日本中同じ決まりだと思うが、遺族の一人が点火スイッチを押す、というルールがある。私は平然とスイッチを押した。全く平常心のままだった。
その姿を見たオンボヤキ(火葬場職員)が次のように言った。「あなたは凄い。どんなに気が強い人でもこのスイッチを押す時は取り乱れ、泣き崩れて、いつまでもスイッチが押せないものです」。
またその様子を見ていた私の叔母が「お前は嫌味なぐらい冷静すぎる」と言った。

それほどの私が大声を立て、肩を上下させて泣き続けたのである。

やっと興奮状態が治まり、私はタオルで涙を拭きながら妻の顔を見た。妻はビックリして目をまん丸くしている。言うまでもなく、結婚して以来、私が泣いている姿を妻は初めて見たわけだ。

なぜそういう状態になったのか、説明する。要するに「他心通」が備わったのだ。
禅の修行をして見性すると様々な神通力が備わるが、その一つが他心通であり、他人の心が一発で分かる、という能力である。
最初の悟りを得て以来、相手の心境が敏感に分かるようになった。直観力が高度に鋭敏になっているためだが、こんなのは誰でも持っている力なので、私は神通力というほどのものではないと思ってきた。
しかし昨夜の現象は全く違う。つまり「後藤象二郎の手紙を読んだ瞬間の龍馬の心がそのまま私に乗り移った」のだ。まさにその10分ほどの間、私自身が坂本龍馬になっていたのである。

その理屈を説明する。
見性すると我執が消えるので心がまっさらになる。そうすると唯識論では「大円境地」と言ったり「円成実性」と言うのだが、例えて言えば「ピカピカに磨き切った鏡のような心境になって真理がそのまま、全く偏見や予断なく、心にクッキリと映る」と同時に、すでに自他の区別(差別観)を超えているので、他人のことも犬や猫やミミズのことも皆全て私と一体になる。天地と我と一体、万物と我と同根、である。この心境を顕すために禅では色紙に「○」(円相図)を書いたり、「一」の字を書いたりする。唯識論で説明すると以上の通りで、実に明快に理由が分かる。

遂に本物の「他心通」が備わったのだ。

ちなみにその手紙を読んだ直後に龍馬がどのような言動をしたのか、続きを述べよう。

大政奉還を受け入れなければ「私が殺す」とまで言った徳川慶喜がその案を受け入れたと知った瞬間、龍馬は男泣きに泣きながら、江戸城に向かって頭を畳にこすりつけ、「よくも決心し給えるかな、よくも決心し給えるかな、この龍馬、これからは命をかけて徳川慶喜殿をお守りいたします」と述べたのである。
無駄な解説は止めよう。分かる人には分かるが、天下の英雄とはただ度胸が据わっているだけではない。この境地に達していたからこそ、龍馬は一介の浪人の身分で日本を変えたのである。

最後に西郷隆盛の龍馬評を引用して、このエッセーを締めくくる。

天下に有志あり、余多く之と交わる。然れども度量の大、
龍馬に如(し)くもの、未だかつて之を見ず。
龍馬の度量や到底測るべからず。

剣道上達のコツ

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私は10歳(小学4年)から剣道を始め、14歳(中学2年)の時には5段以上の腕前になっていた。その年齢で、5年間で5段以上というのは非常に珍しいことだと思う。
より正確に言えば、当時は規則上中学での最高段位は1級までだったので、私が公式にもらった段位は1級である。しかし、3段の相手に二度対戦して、二度とも二本先取で勝ち、5段の師範にも勝ったたという事実がある以上、確かに5段以上の力が付いていた。
剣道をやっている若者にぜひ読んで欲しい。もちろん5段以上の人は既に私の体得したコツは分かっているはずだから読む必要な無い。もっとも、剣道少年物語として読まれるなら、結構面白いことが書いてあるはずである。

私は子供の頃、体格もよく成績もよかったが、一人っ子で過保護に育ったために気が弱かった。だから、根性の悪い苛めっ子に悪戯を受け、よく泣いて帰った。母は女丈夫で、男は勉強より度胸だ、という考え方だったので、恐らく母の勧めで近くの警察道場に通うことになった。それが4年生のときである。
 その道場の師範は元壮士だった。壮士と言えば聞こえがいいが、要するにヤクザ者で、私が生まれた頃に母が経営していた料亭にやってきて、「誰の許可を受けてこの商売をしているんだ」と凄んだヤクザがこの男である。母は、「なんでお前の許可がいる」と強気に押して追い返したらしい。母は軍属で満州に渡り、人が目の前で殺される様を何度も見ているのですっかり度胸が据わり、道で母に声をかけられると心臓がドキッとすると言われるぐらいに、気迫の強い女性だった。

 そういうわけで、もともとヤクザ者だったのだが、どういう転機があったのか、改心して警察道場の師範になっていた。だから、荒っぽい古流剣道を学んだ。
例えば闇稽古である。道場の窓は全部戸板になっていて、それを閉めてしまうと真っ暗になるのである。そこで、何十人もの小学生がルール無しで打ち合う。人の気配を感じたら滅茶苦茶に打ち込む。面も胴も小手も無い。足を打っても構わない。
それから、通常の試合の仕方も変わっていた。片方が竹刀を落とすとルール上は「待て」をかけて竹刀を拾って構えなおし、再スタートすべきなのだが、この師範は「両者組み合え」というのだ。これは野戦になったときの実戦を想定したもので、組み合い、相手を倒し、面を脱がしたほうが勝つのである。つまり、脇差で敵の首を切った、という意味だ。
そういう荒い稽古を受けて、少しずつ私の心も強くなった。


もっとも、そういう師範だったから心遣いも荒く、私が最初の一週間目ぐらいに、試合中に足裏の皮がペロリと剥けて、丁度草履を履いて歩くように、垂れ下がった皮を足の裏にブラブラさせて、ビッコを引き、顔をしかめているのに、怪我だと気づかず、「那田、痛そうな顔をするな」と怒るような人物だった。それで足の裏を見せて、やっと試合を止めて包帯を巻いてくれた。その上「怪我なら怪我と何故言わない」と怒るような人物だった。
そんな具合だから、私はこの師範を慕えなかった。しかし着実に心と体力は強くなってていった。小学6年の時には、全小学生の中でトップ3の腕前になっており、学校で体力測定をしたら、背筋と握力は学年一位だった。
もうその頃には、私に対する苛めは消えていた。

中学に上がるとき、東京に某宗教系の中高一貫教育の学校が創立されたので、受けてみたら競争率4倍を合格した。両親とも単身上京するのに反対したが、その学校は教員に東大出身者を集め、エリート教育をする、という謳い文句だったので、私は両親の反対を押し切って故郷愛媛を巣立った。

 そしてさっそく剣道部に所属した。中学一年の部員は20名ぐらいだっただろうか、半分は初心者で半分は経験者だった。それで全員で素振りをしたのだが、どう見てもみんな筋が悪い。
素振りは振り上げたときに、切っ先が尾てい骨の真ん中に軽く当たり、振り下ろすときは、雑巾を絞る要領でピシッと止める。巧くなると振り切って止めたときに、竹刀が軋んでビシッという音がする。つまり、振り上げたとき、振り下ろしたときに軽く音がするのがいい素振りなのである。それぐらいのことは当たり前だと思っていたから、みんなの無駄な力の入った素振りを見ただけで、これはレベルが低いな~と感じた。
考えてみれば、四国山脈の奥に生まれ、ヤクザに3年間仕込まれた私は、都会の剣道愛好者と比べると、いわば山猿みたいなもので、頭一つも二つも抜き出ていたのである。

 それで、「かかり稽古」が始まると妙なことになった。かかり稽古というのは、二十人が輪になって、その真ん中で先ず二人が試合をする。片方が一本取ると、負けたほうが退き、輪になっている中でやる気のある人間が輪の中に飛び込んでいく。残ったほうは直ぐに体勢を整えて新しい相手と戦う。これを延々と繰り返すのである。すると強い相手も息が上がってしまい、いつかは負ける。そうして全員が稽古できるのがこの「かかり稽古」の利点なのだ。
ところが私がこの稽古に参加すると、いつまでたっても私は負けない。20人一回りしても一本も取られない。その様子を見て5段の師範が「君は高校生と一緒に練習しなさい」と言った。

 それで一年生の始めの頃から私は例外として高校生と混じって練習することになった。
 しかし、ここでも私の相手になるのは3段の主将だけである。他の高校生は相手にならなかった。3歳年下にポンポン取れられるものだから、相手は顔を真っ赤にして突っかかってくるのだが、スキだらけでスピードも鈍い。負けるわけがなかった。
それで私は3段の高校生の主将と専ら稽古を続けることになった。ほぼ互角だった。私の才能を師範が面白がって、「真剣勝負しよう」と言って対戦した。
構えてみるとさすがにスキが無い。打ち合いながら相手の癖を見ていると、左の小手(逆小手)に若干スキが生まれる。中学や高校で「逆小手」など教わらないのだが、そこにしかスキが無かったので、打ち込んだら決まった。五段の師範が「参った」と言った。「まさか逆小手に来るとは思わなかった」と嬉しそうに笑っていた。

そうそう、一番役立った稽古があるので教えよう。私は「小手→面の二段打ち」は得意だったが、胴は苦手だった。それで次のようなルールを作って稽古した。相手は私の面しか打ってはいけない、私は相手の胴しか打ってはいけない、というものである。
これは抜群の効果があった。私は相手が面しか狙わないのが分かっているのだから、面だけを気にしておけばいい。だから相手が面を決めるのは殆ど不可能である。逆に相手は胴だけ防御すればいいのだから、そんな相手に私が胴を決めるのは不可能である。
その不可能な状況を可能にする練習なのだ。これは面白くて毎日続けた。
 ある日、「胴を狙うからダメなんだ。相手の右肩を切り落とすつもりで打ってみよう」と気づいた、あるいは師範がそう教えてくれたのかもしれない。とにかくそれに気づいたとたん面白いように決まり始めた。横に打つのではない、縦に切るのが胴打ちのコツだと分かった。

そういう具合で、普通の中学生とはレベルの違うところで練習をしていた。
全てのスポーツ(剣道はスポーツではない。殺し合いである)の極意は「無駄な動きは一切しない」「リラックスする」ということに尽きる。
それで、私は普通の「面抜き胴」は理屈に合わない、と思い、一人で自分流の面抜き胴の練習をしていた。
具体的に言えば、普通の面抜き胴は、相手が面を打ってきた時に竹刀を左上に払い、左にUの字を描いて、その遠心力を利用して相手の右胴を打つのだが、理屈で考えると、その「左にUの字を描く間の0.1秒ほどの時間が無駄」なのである。
そこで私は、面を打ちに来た相手の竹刀を右上に払い、手首のスナップを利かして相手の左胴方向に抜けながら、つまり自分の右足を踏み出す瞬間に相手の胴を切る、という練習を繰り返した。私の稽古相手になった男は私がなぜそのような練習をしているのか意味が分からず不思議な顔をしていたが、この「那田流面抜き胴」の方が合理的なのである。(合気道ではこの徹底的な合理主義のことを理合(りあい)と呼ぶ)
映画ファンなら黒澤明の「椿三十郎」」の最後の決闘場面を知っているだろうが、三船敏郎は左の逆手で剣を抜き一瞬に相手の左胴を切る。これは実に理に適った方法である。
ちなみにこの殺陣をつけた天才殺陣師・久世竜は偶然にも私の故郷である愛媛県東宇和郡(現・西予市)野村町の生まれで、故郷で唯一の有名人である(地元の人はバカだからこのことすら知らない。私が故郷に帰った時に役場の観光課にこの事実を教え、記念館を作るようアドバイスしたのだが、未だに実行していない。こういうバカな町はサッサと滅びればいい)。

格技は「心・技・体」という。私の考えでは、体と技が基本中の基本で、心は後でいいと思う。
体と言っても、腕立て伏せや腹筋などの所謂「筋トレ」は全く必要ないだろう。剣道には剣道の筋肉があればいい。私は、毎日の稽古が終わり、寮に帰ったあと、寝る前に400本の素振りをした。最初の200本は左手だけで、残り200本は両手でする。ついでに、二段打ち、三段打ちのスピードを極限まで「早く」する練習を欠かさなかった。
技も、師範が教えてくれるものだけでなく、本を読んで色々研究した。「横面」「起き上がり面」「担ぎ面」、鍔ぞり合いになったときのツカの使い方、さらに「引き技」、わざとどこかにスキを作っておいて相手を誘い、「機の先」で打ち負かす方法、などなど、自分なりに工夫を重ねた。
剣道は、相手のスキを見る「眼」を作ること、そのスキを打ち込む「竹刀のスピード」をつけることに尽きる。そのスピードは固い筋肉をつけるより柔らかい筋肉から生まれる。だから素振りを繰り返すのが一番いいのだ。

中学1年の段階で私が体得していたのは次のようなことである。箇条書きにしよう。

1、重心はヘソの辺りに、高めに置く(下に置くと体捌きが重くなる)
2、切っ先は相手の左喉に向け、両腕はゆったりと空気を抱くように構える。
3、力を入れるのは打つときだけ。普段は力を抜いておく。
4、最も大切な指は左手の中指、薬指、小指である。この三本でしっかりと握り、人差し指と親指は軽く添える。右手は竹刀の角度をコントロールするだけで、打つ瞬間以外は力を入れてはいけない。
5、面も横面も、小手も胴も、全ての技は左手が体の中心線を通らねばならない。つまり、左のこぶしは、鼻からヘソを結ぶ線の上を上下するのみ。
6、後ろに引いた左足のカカトを浮かすのは当然だが、右足のカカトも浮かす感じで構える。重心をヘソに置く意味と同じだが、風が吹いたら流れる柳の葉のように、自在に動ける状態を作っておくこと。
7、きちんとした構えで、間合いを取っていれば簡単に打ち込まれるものではない。相手が打ち込めず自分が打ち込めることの出来る間合いを取ること。具体的に言えば「一足飛び」は徹底的に稽古すること。
8、相手の呼吸を見ること。相手が息を吸っているときにスキが生まれる。呼気でなく吸気の瞬間に打ち込むこと。
9、稽古の前に「剣道はスポーツではない。殺し合いである。一本とられたということは、その時点で私が死んだことに等しい」と心に言い聞かすこと。

実は、この9番の、所謂「殺気」を獲得してから私は強くなったし、稽古も真剣にできた。前に言った「体と技が基本で、気は後でいい」と言ったことと矛盾するようだが、私の場合、この殺気がある日突然分かった。この殺気が出ないと本当に強くはなれない。殺気と怒気は違う。怒気は頭に血が上る状態を指すが、殺気は腹の奥に「冷たい気迫」を抱くのだ。「この試合は殺すか死ぬかである」と、無意識が最大限の能力を発揮できるように静かに心がけるのである。
こう言い直そう。逆に殺気がいくらあっても体と技が無くては勝てない。体と技が出来た上に殺気を知れば無敵となるのである。

その学校は毎年秋に「校内剣道大会」を催していた。部員だけでなく、誰でも飛び入りOKというルールである。
これは実に面白い体験だった。腕っ節に自信のある男たちが飛び入りで相手になる。喧嘩の強い人間を相手にすると、剣道として見ればもう滅茶苦茶なのだが、初心者は相手の気迫(怒気)に押されて、負けてしまう。経験者でも気が弱い人間はそういう相手に負ける。
そういう相手が私と当たった。「馬鹿馬鹿しいから早く決めよう」と思って、「始め」の号令と共に、「小手面二段打ち」をした。「面あり」!!!一秒で決まった。しかも最初の小手が、丁度防具の縫い目の部分(手首の関節の真上。ここに当たると痛い))に鋭く当たったものだから、振り返ると相手は竹刀を落としていた。見ていた高校の先輩が「那田、少しは手加減してやれ」と声をかけてくれた。
そんなわけで、中学一年、二年と続けて、全ての試合で一本も取られず全て二本先取で優勝し、学園長から二年続けて褒美の竹刀をもらった。当時70年安保の真っ最中だったので、「機動隊が来ても、那田君がいるからこの学校は大丈夫だね」と冗談を言われた。

3年生になった。校外学習で歌舞伎座に行き、当時の尾上辰之助が演じる弁慶の飛び六法を見たときに、鳥肌が立った。芸術のパワーに触れた瞬間だった。
それで私は剣道部を退部し、演劇部を創立して脚本を書き、演出をし、自らも演じて文化祭などで公演した。
実は私はその学校に入って間もなく、その学校が取り組む宗教教育に疑問を持っていた。私は日蓮こそが唯一仏であり、代々の法主上人の教えを日蓮の教えとして仰ぐ、という真っ当な考えを持っていたが、その中学では、現代の日蓮は創立者であり、創立者の教え通りに動くロボットのような人間を育成した。創立者本人にも私は何度も会い、みんなは熱狂していたが、私は「いかがわしいな」という感想しかもてなかった。
そういうわけで、このままその中学校を卒業しては自分の人生の汚点になるのではないか、という思いが常によぎるようになった。
そういう状態のときに夏休みで帰郷し、友人達と遊んでいると、遥かに一般人のほうが純粋でまともである。それでその宗教系学校創立以来最初の自主退学をしたわけだ。

 というわけで私は中学3年の2学期から郷里の中学に中途入学し、地元の高校に進んだ。
その高校には演劇部は無かったので、文芸部に入ったら一年生なのに部長になった。2年生になって、体を動かしたくなりバスケ部に入った。すぐにコツを掴んでポイントゲッターになった。この頃体力測定があり測ったところ、握力、背筋力、垂直高飛びは学年一位だった。垂直飛びは目盛りの最上段の上まで手が伸びるので測定不可能だった。
バスケ部は「練習が一番厳しい部活」で有名で、一回の練習ごとに体重が3~4キロ減った。
 それで、面白いことにその高校では、部活とクラブ活動との二つに分かれていて、部活は毎日やるのだが、クラブ活動は希望者が週に一度行うのである。それでクラブ活動に剣道部を選んだ。

私が高校に入って剣道部に入らなかった事情は色々ある。歌舞伎に出会って以来、体育会系の汗臭い世界が嫌になったこと。近視が進んだこと。それからこれが最大の理由だが、中学時代は「三六(サブロク)」という竹刀を使い、高校になると「三八(サンパチ)」という少し長く重い竹刀に変わる。私は三六での剣道を極めていたので、三八になると自分のイメージ通りの剣道が出来なくなったのである。むろん、素振りを繰り返せば慣れてくるのだが、私はもう芸術の世界にどっぷりと入り込んでいて、今更剣道を続ける気はしなかったのである。
 
 そういうわけで余興のつもりで剣道クラブで週に一度別の汗をかいた。
主将が三段で、二度対決した(当時の規則では高校生が取得できる最高段位は三段までだった)。彼の父親は剣道場を経営し自ら師範として教えていたと記憶している。
対峙してみると、なるほど堂々とした格の高い構えでスキがない。こういう相手と正攻法で戦うと試合がもつれる。それでフェイクをかけた。面を打つ振りをして胴を打つ。わざと小手にスキを作っておいて相手が打ちに来た瞬間、面や小手を打つ(「小手抜き面」「小手抜き小手」)・・・・・この手に相手はまんまと引っかかった。二度対戦して二度とも二本先取で私の勝ちである。これで私は少なくとも四段以上の実力があること確信した。
剣道クラブに入ったのはもう一つ隠れた理由があった。
そこの部長が、大嫌いな数学教師だったのである。
私は、典型的な文系人間のように誤解されるが、実は高校二年の途中までは数学は大好きだった。努力家ではないので普段の定期テストなどでは一番は取れないが、応用力が試される全国統一模試では決まって数学で一番を取った。
ところが2年生になって担任がその数学教師になってからヤル気がなくなった。彼は上から目線で尊大な態度を取るからだ。おまけに二年になって三角関数に進むと、公式を丸暗記してそれに当てはめて解答するだけの、本当の意味での論理性を問わない、ただのゲームになってしまう。
それで私は数学はやらないことにした。教師は私を睨む。その教師をボコボコにできるのがクラブ活動の時間なのである。
よせばいいのに、剣道は素人なのにも関わらず、その数学教師は防具をつけて指導者ぶっている。それで私は試合を申し込んで、わざと「痛い打ち方」をしてやるのだ。前述したように、小手は防具の縫い目の部分を打つと非常に痛い。面も普通は頭の上の布の部分と顔の前の金具の部分の境目を叩くから痛くないのだが、わざと布の部分だけを狙って打った。これは痛い。しかも打ち方にコツがある。上達してくると「打つ」「引く」の動作が、ちょうどボクサーのパンチように速くなる。だから上級者に打たれると余り痛くない。下手な人間は力いっぱい振り下ろして、押さえつけるようにして、素早く引かないので、痛みが増す。
それで私も初心者の撃ち方をして、ポン、ではなく、バチンと打ってやるのだ。数学教師は私が試合を申し込むたびに、涙目で打たれ続けた。その報復が授業のときに待っているのである。まあ、一言で言えば、小さな人物であった。

 そんなわけで私は剣道に関しては天狗になっていた。映画版「ドラエモン」では、いつもはダメ人間のノビタが射撃の名人になって「僕は射撃の天才だぞ」というが、私も「俺は剣道の天才だぞ」と思っていた。
ところがである。凄い人物を見た。当時テレビで「ビックリ人間ショー」とかいう番組をやっていた。そこに、「山に篭り数年修行した剣道の達人」が登場した。見た目はまだ二十代前半のようだったが、目付きが異様で、ちょっと目にはキチガイのように映った。
まず桶に一杯の水を張ってリンゴを一個浮かべる。それを水をこぼさずに抜き打ちで二つに切る、というものだ。しゃがんだ男は一瞬にしてリンゴを真っ二つに切り、瞬時に刀を鞘に戻した。少し水が零れたが、審査員の柴田錬三郎が即座に「お見事」と声をかけた。それを見ていて、「俺は居合いはやったことはないが、練習すればあれぐらいはできる」と思った。ところが、次の技が凄かった。
青竹を支えるために二組の椅子を置く。その上に豆腐をそれぞれ二丁重ねる。その上に青竹の両端を置いて、「豆腐を崩さずに木刀で青竹を切る」というのである。まさか、と思った。
そのまさかが本当だった。彼は青竹を木刀で叩き切り、しかも両端の二段に重なった豆腐は動かなかったのだ。正確に言えば豆腐の一つは崩れそうになったがその男が豆腐を元に戻したのである。この場面は再度スローモーションで映された。木刀が当たった瞬間に竹は一枚の紙切れのようにペッタンコになり、その中心が爆発して綺麗に青竹が二つに切れていた。

 これには参った。それで早速私も近くの竹やぶに行って適当な青竹を切り出し、木刀で切る練習をしてみた。私は振り落とす剣のスピードにも力にも自信を持っていたが、とても切れない。力をいれ、早く振り落とすほど、逆に青竹の反発力に弾かれて手が痺れるだけである。ああ、天才とはこういうものか、と思った。私は天狗の鼻をへし折られた。

 ところがである、つい先週、つまりこの達人の技を見て35年後の話だが、藤平光一の本を読んでいて、同じことが出来た、と書いてある。結論を先に言えば「気」で切るのだ。
藤平氏は、合気道創始者で伝説の男・植芝盛平に師事して植芝を超え、ヨガの行者にして哲人・中村天風に師事して天風を越えた、天才型の合気道家である。中村天風に免許皆伝の最後の試練として試されたのが、青竹の両端を紙のワッカに掛けたのを、紙を破らずに、青竹だけを木刀で切る、というものだった。藤平氏は、「先ず気で切ってから木刀で切った」と書いている。
なるほど、と思ったが、いくら読んでもどうすれば気が出るのかは分からない。いや、リラックスすればいい、とは書いてある。しかし凡人がリラックスしたからと言って出来るものではない。おそらくこの技が使える人間は日本に三人もいないだろう。上には上があるものだ。

以上が剣道少年の物語である。初心者には役に立つと思うので、よく読んで覚えておいて欲しい。

後日談を書こう。剣道をやらなくなって40年近く。家には以前と別の日本刀も木刀もあるが、素振りをしたことは35年間一切無かった。それで先日、木刀を持って近所の公園に行き素振りをしてみた。驚いたことに、振り上げると尾てい骨の真ん中にピシッと切っ先が当たり、スカッと振り下ろせる。全く衰えていない。それで二段打ちも試してみた。なんとスピードも衰えていない。気持ちよくて汗をかくまで木刀で遊んだ。
これはどういうことだろう、雀百まで踊り忘れず、というが、ちょうど自転車が乗れるようになれば、何十年経ってもコツを覚えているのと同じ理屈だろうか。それから無駄な力を入れない、むしろ力を抜いて、大事なときだけ瞬間に力を入れる、というのが極意だから、60歳になっても若い頃と同じ動きが出来るのだろう。

 この腕なら、仮にヤクザが日本刀で切りかかってきても、棒さえあれば簡単に取り押さえられるな、と思った。なにをやるにしても極めないといけない。(ちなみに、宮本武蔵は飛んでいるハエを箸で掴んだと小説では書かれているが、私は箸では捕まえられないものの、飛んでいるハエを物差しで打ち落とすぐらいのことは今でも出来ます)
(見性体験記より)

牧野さんの家の方に

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集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(決定版が出て既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げました) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531 電子出版される可能性もあることをお知らせします。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。今月の「春名先生を囲む会」でも病院でも治らなかった膝や肩の痛い人をその場で治すそうです。心当たりのある方はぜひ参加して下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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私は早稲田大学大学院の修士課程に4年の休学を含めて計六年間在籍した。
 第一に肝臓病、第二に数千万の出資をして作った会社を親族に騙し取られた母に代わっての法廷闘争、それから余りに完璧な修士論文を構想したために原稿が書けない、という三重苦の状態にあったからである。
 私は修士二年のときから映画雑誌に膨大な量の批評や評論を書いていたので、それを修士論文に編集して「戦後実験映画論」にしようと思っていたのだが、指導教授の提案で、戦前の実験映画をテーマにしてはどうか、と言われ、方針変更となり「戦前日本における前衛映画の受容と展開」というタイトルになった。
 当初は「キネマ旬報」や「映画往来」を一次資料にして、ある程度の構想は出来ていた。また、戦前日本の小型映画運動は前衛運動でもあった、ということは知っていたので、単行本レベルでは小型運動の概要も分かっていた。
 牧野守氏と出会ったのは、もうこれ以上休学すると除籍になるという修士六年目の夏、「早稲田大学映画史研究会」の帰り道である。小型映画の話をしたところ、手を引っ張るようにして「私の家に小型映画雑誌があるから来なさい」と誘っていただいた。思えば、これが不運の始まりだった。ピーター・B・ハーイ氏が「牧野コレクションに出会っていたら『帝国の銀幕』は書けなかった」と述べているが、私の場合、その膨大な資料という悪魔に出会ってしまったのである。
 高田馬場のアパートから国分寺の牧野家まで毎週通った。なぜか私が出かける日に限って雷雨になったり大雪が降ったりした。あれは神様が、牧野コレクションに手を出してはいけない、と警告を発していたのに違いない。
 行くたびに膨大な雑誌を近所のコンビニでコピーした。毎回五千円から八千円ほどコピー代に使った。その作業で膝が悪くなるほど立ち続けた。そして大抵夕食をごちそうになった。
その作業がなんと修論締め切りの一週間まで続いたのである。もちろん学内にある全ての資料はコピーし終えていた。フィルムセンターの蔵書はもちろん、一枚のポスターを見るために栃木県の図書館まで行って一泊したこともある。
そのコピー資料の山を見て、これはヤバイ、と気づいた。いわゆる「資料倒れ」である。私は異常に神経質で完全主義の欠点があり、手元の資料で完成させようという割り切りが出来ず、まだまだある牧野コレクションの未コピーの部分ばかりが気になるような性格なので、頭が真っ白になってしまった。
そもそも修論締め切りの二ヶ月ほど前から頭が空回りし始めた。新しいコピーの束を抱え込むたびに論文の構想が無限に広がり収集がつかなくなるのである。 
 結果として私は未完成の論文を提出するほかなくなり、指導教授の配慮によりやっと修了できたのだった。そういう訳で、私が修士論文を完成できなかったのは牧野さんのせいであり、私は牧野さんを怨んでいる・・・・・というのはもちろん冗談である。
 実は私は指導教授から、君にはぜひ博士課程に進んで欲しいから良い論文を書くように、と耳打ちされていた。当時早稲田の博士課程は過去五年の間一人の合格者もいなかったので、これは大変な名誉であり、私は感激に打ち震えた。普通の人間ならこの厚意を奮発の材料として論文執筆に打ち込むだろう。ところが私は普通の人間ではなかった。
 私は一人っ子で、当時70歳前後の母に仕送りをしてもらって生活していた。父は学生時代に他界していたので、一人暮らしの母が商売(ブティック)をしながら月々三十万もの大金を送ってくれていたのである。しかも親族の詐欺により貯金は底を突いていた。もし私が博士課程に進めば、母からの仕送りに甘え続けねばならなくなる。「博士万年」と言って、一定の学問を完成させて収入を得る、というところまで行くにはゴールが見えない、というのが博士課程に在籍する人間の運命なのだ(私は肝臓が悪かったのでアルバイトをする体力はなかった)。「ああ、俺は一生母親の仕送りで生きて、そして母は田舎(愛媛)で孤独死するのだろう」という思いが、強迫観念のように心を占め続けた。
さらに私は文学青年だったので、ある意味で日本最高の名文といえる次のような手紙を知っていた。以下引用する。
 野口英世の母「野口シカの手紙」

おまイの。しせ(出世)にわ。みなたまけ(驚ろき)ました。わたくしもよろこんでをりまする。
なかた(中田)のかんのんさまに。さまにねん(毎年)。よこもり(夜篭り)を。いたしました。
べん京なぼでも(勉強いくらしても)。きりかない。
いぼし。ほわ(烏帽子=近所の地名 には)こまりおりますか。
おまいか。きたならば。もしわけ(申し訳)かてきましよ。
はるになるト。みなほかいド(北海道)に。いてしまいます。わたしも。こころぼそくありまする。
ドか(どうか)はやく。きてくだされ。
かねを。もろた。こトたれにこきかせません。それをきかせるトみなのれて(飲まれて)。しまいます。
はやくきてくたされ。はやくきてくたされはやくきてくたされ。はやくきてくたされ。
いしよ(一生)のたのみて。ありまする。
にし(西)さむいてわ。おかみ(拝み)。ひかしさむいてわおかみ。しております。
きた(北)さむいてはおかみおります。みなみ(南)たむいてわおかんておりまする。
ついたち(一日)にわしおたち(塩絶ち)をしております。
ゐ少さま(栄昌様=修験道の僧侶の名前)に。ついたちにわおかんてもろておりまする。
なにおわすれても。これわすれません。
さしん(写真)おみるト。いただいておりまする。はやくきてくたされ。いつくるトおせて(教えて)くたされ。
これのへんちちまちて(返事を待って)をりまする。ねてもねむれません。

  この野口シカの手紙の文句が頭を駆け巡り始めたのである。一人の学者が生まれるには一家が犠牲になる、と言われるが、まさに私の場合も郷里の母に一生仕送りをさせ続け、自分一人が学者になって母を孤独死させる・・・・・というイメージが頭を駆け巡った。つまり私の修士論文の作業は、博士課程に入れるという高揚感と、母を不幸にするだろうという非痛感が共存し、完全にアンビバレントな心境になって自我が崩壊しかけていたのである。
それで不思議なことが起こった。締め切りの三日前、もうその頃は徹夜続きでロクに頭が回っていなかったが、とりあえずいいところまでは書けていた。締め切りぎりぎりで完成できそうな気配だった。その論文の出だしは、英語文献を引用して「前衛映画とは何か」という定義をした部分だった。原稿用紙にして30枚以上あったと思う。夜中にその部分を添削していて、一行削除しようと思った。一行削除をするには、私のワープロでは「機能1」ボタンを押して「実行」を押す。ところが何気なく「機能2」ボタンを押して「実行」を押してしまったのだ。瞬間「全文削除していいですか」という警告文が出た(はずだが)、私は「実行」ボタンをいつものように無意識に二度打ちしていた。
 嘘だろうと思った。翌日になればどうにか救済方法が見つかるだろうと思い、その夜は酒を飲んで寝た。
 翌朝起きて、昨日の出来事は夢だったに違いない、と念じながらワープロを開いたが、やはり論文の中心になる文書が消えている。メーカーに電話したが救済策は無かった。私は完全にパニックに陥った。残り一日しかない。もう翻訳している時間は無い。それでもどうにかして辻褄をつけようとして出来る限りのことはやった。が、論文締め切りの早朝、無駄な努力であることを悟った。それで一番仲のいい先輩・奥村賢氏に電話を入れて、大学院を中退します、と報告した。奥村氏は「馬鹿野郎、これから行くからそこにいろ」と言ってタクシーで駆けつけてくれ、茫然自失としている私に代わって、ワープロに残っている諸文書を印刷してくれた。
そういうわけで奥村氏と指導教授の配慮のお陰で、未完成ながらどうにか中退せずに済んだわけだが、このボタン一つの操作ミスが人生を変えたのである。(しかし、それは私の無意識が望んでいたことなのかもしれない)
その後、批評や論文の要請があり2年ほど東京に残っていたが、ついに仕送りも不可能になり、妻子をつれて(私は大学院時代に結婚していた)郷里・愛媛の片田舎に帰ることとなった。都落ちである。
 最初の三年間は健康を取り戻すために完全休養していた。この間に車の免許を取って毎晩宇和海の堤防に行って釣りをし、太刀魚とアオリイカに関しては名人と呼ばれるようになるなどいろんな楽しいこともあったが省略しよう。要するに3年の間、70歳を過ぎた母親の収入で私と妻子は食わせてもらっていたのである。
 幸い、というか、知人の水由章氏が年刊の実験映像誌「Fs」を発行し、私はそれに「戦前日本の個人映画史」という連載を引き受けたので、田舎にいながら修士論文で書きたかったことにじっくりと取り組むことが出来た。戦前の実験映画といえば中井正一ぐらいしか知られていなかったときに、この雑誌で紹介した実験映画作家の活動は日本映画史の処女地を開拓した重要な研究だったと自負している。
 帰郷して4年目に入ったとき、突然一人の中学生が現れて、家庭教師をして欲しいと言ってきた。聞けば150人中100番前後の成績だという。それで、私の勉強部屋に相手が来る、という条件で引き受けた。たった二ヶ月英語と数学を教えただけで彼は次の定期試験でトップ10に入った。90人を追い抜いたのである。追い抜かれた友人たちが焦って次々と集まり、いつの間にか「那田塾」になった。あの塾へ行くと誰でも30番ぐらいは成績が上がる、と評判になり(実際にそうだった)、中高生合わせて80人ほど詰めかけて、街で一番人気のある学習塾になった。
 当然八畳の勉強部屋では手狭になり、母の営業するブティックを半分に仕切って塾にした。私は凝り性なので改築は全て自分で行った。柱を立て、ドアを付け、壁を仕切り、そして机も椅子も全部一人で作り上げた。
やっと母のスネカジリから巣立って貯金が出来るようになった。丁度そんな折に牧野氏が「私のコレクションは部分売りしないのが原則だが、君の情熱に免じて小型映画関係の書籍を譲ってもいい」という連絡を頂いた。125万ぶんの書籍を送っていただき、その上に分割払いにしてもらった。これで小型映画研究に関しては日本一のコレクションが手元に揃ったわけである。
 「那田塾」が7年ほど経ったときに、大学院時代の恩師から「早稲田の非常勤講師にならないか、将来は必ず君を教授にするから」という話があった。丁寧に言えば、そういう打診はかなり前からあったのだが、非常勤講師の低賃金で、借家で妻子を食わせていける筈もなく、そのことは忘れていた。しかし、学習塾の成功により家を買う頭金ぐらいは貯金があったので、上京を決意したのである。
 月に百万近い収入を捨てて、月収三万前後の非常勤講師になるのだから、それ相応に智恵を絞った。民家ではなくマンションビルを買って、そこに住みながら同時に家賃収入も得る、という方法を編み出して実行したのだった。
そういうわけで八王子のマンションに移り住んでからもう8年目になる。生活は苦しいが、(小泉構造改革の悪政により)ゴーストタウン化した郷里で小金を稼いで生きるよりも、貧乏でも知的刺激の豊富な都会で生きていくほうが、私には遥かに心地いい。幸い牧野氏の住む国分寺まで近いので、時々お会いして日本映画史の薀蓄を伺い、大いに耳学問も発展した。私は放っておくと「アヴァンギャルドおたく」に陥るので、牧野氏の大局に立った日本映画史観を聞くと上手い具合にバランスが取れるのである。
 幸い恩師の口利きで、戦前の小型映画運動に関する単著を出せるかもしれない可能性が生まれてきた。原稿は「Fs」や「映像学」に書き溜めたものがあるので実質的には8割がたは出来上がっている。恐らく来年には出版出来るだろう。これはもちろん牧野さんから譲ってもらった資料が元になっており、この出版で牧野さんに恩返しをしたいものだと願っている。思えば牧野コレクションを初めてコピーしたときから15年もの歳月が流れている。このスローペースでは私の書きたいものを書き切るには百歳ぐらいまで生きていなければならない。困ったものである。
もし私があの修士六年の夏、牧野氏と出会わず牧野さんの家のほうへ歩みを進めなかったとしたら、間違いなく私は六年ぶりの博士課程合格者としての名誉を得て、今頃はどこかの教授になっていたことだろう。しかし、私は牧野さんに出会ったことを後悔していない。逆に感謝している。この15年の人生経験は、私に映画研究という限られた分野を超え、人間はいかに生きるべきか、という本質を教えてくれた。「晴れて良し雲りても良し富士の山」というが、たとえ嵐であろうと霊峰富士は天下一の荘厳な姿で立ち続けている。逆境が人間を磨くのである。
この雑文のタイトルを「牧野さんの家のほうへ」としたのは土方巽のダンスの副題「澁澤さんの家のほうへ」のパクリである。おそらくそれもプルーストの『失われた時を求めて』の有名な一章「スワン家の方へ」のパクリだろう。

澁澤龍彦の家には三島由紀夫や四谷シモン、土方巽らが集い、さながらサロンのようであったと言われているが、いうまでもなく牧野家は日本映画研究者たちのための学習塾でありサロンであった。もうコレクションは無くなったが牧野氏には在野の映画研究の泰斗として今後も後進の指導に当たっていただきたい。くれぐれも健康には気をつけて。
 (見性体験記より)

 

 

浪人時代、学生時代

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。今月の「春名先生を囲む会」でも病院でも治らなかった膝や肩の痛い人をその場で治すそうです。心当たりのある方はぜひ参加して下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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一般に浪人時代というのは暗い、辛い記憶に満ちたものだが、私の場合は実に充実した楽しい思い出の時期でもあった。もちろん、浪人という宙ぶらりんの社会的地位は常に心痛と隣り合わせである。しかし、それだけではなかった。

私は、浪人時代ほとんど受験勉強をしなかった。
もともと国語に関しては学年トップを続けていたので問題なかったし、英語も文法が大好きだったから、単語力の強化と発音の確認程度で充分だった。唯一のネックは世界史で、第一志望の早稲田大学第一文学部の世界史の問題は教科書を丸暗記しても絶対に合格できないようになっており、例えば「フェリペ2世の在位年代」が正確に頭に入っていないと解けない、といった、実にトリビアルな問題が出るのだった。

私は、中学高校の頃から、将来は詩人か小説家になるのが夢で、太宰治や中原中也、ボードレールなどの作品は全部読破していたし、浪人時代は稲垣足穂にのめりこみ、難解な哲学書なども片っ端から手を出していた。
だから、受験勉強はさっぱりやらなかったが、自分の中ではいっぱしの文学者気取りだった。端的に言えば、「なぜこの俺が、どうでもいい歴史の年代暗記のためにこの明晰な頭脳を使うなどという愚劣な真似をしなければならないのか」という傲慢な精神を抱いていた。

一浪目の下宿は、隣がパチンコ屋とビリヤード場、雀荘と、三拍子揃った立地条件だったせいもあって、下宿の浪人仲間と毎日、それら三道楽に熱中した。マージャンを本格的に覚えたのも浪人時代で、夢の中でもマージャンをやっているぐらいのめり込んだし、ビリヤードも腕を上げて、引き玉、押し玉、自由自在に出来た(当時はポケットではなく4つ玉が主流だった)。パチンコにいたっては毎月15万はつぎ込んでいた。
こうして昼は三つの道楽に打ち込み、夜は酒を飲み、気が向けば詩を書く、実に充実した時間が、私の浪人時代だった。

その浪人下宿には福岡や宮崎など、九州出身の男たちが多くいた。私から見れば、彼らは相当に野蛮な風習に染まっていて、何かあるとすぐ殴り合いの喧嘩になったものだが、その一面、非常に純情なところがあって、腹をさらけ出してものをいうので好感が持てた。

そもそも浪人には2つのタイプがある。私のように、受験勉強に反抗して無頼派的に遊びまくっているタイプと、素直に勉強をするタイプである。前者は後者に比べると相当に早熟なグループだった。某友人は、浪人時代に役者になることを夢見て、人脈を求めて歩き回っていたし、私は文学者きどりで飲んでは芸術論を戦わせていた。

そういえば、私に女遊びを教えたのも役者志願の浪人生だった。千葉の栄町に私を連れて行き、初めてのときはアッという間に終わるからといって、ソープランド(当時はトルコ風呂、といった)に入る前に、二人で日本酒を二合ずつ飲んで、ことに挑んだものだった。

私は、「自分の文学的才能を開花させるには早稲田大学第一文学部に入るほか無い」という確信と同時に、「受験勉強などという愚劣なものに手を染めることの不快さ」という二律背反に陥っていた。
そんな私が真剣に受験勉強に取り組み始めたのは「怒りのエネルギー」だった。

二浪の後、親の勧めで受験した甲南大学文学部に合格し入学した。その大学は西の学習院といわれるような非常に優雅な、ある意味理想的な大学だったが、私は体育と音楽以外の授業には出席せず、昼間から酒を飲んで詩作に打ち込む生活をしていた。ウィスキーの中に市販の睡眠薬ブロバリンを混ぜて飲んで詩歌を読んでいたため、トイレの便器はオレンジ色に染まっていた。そして夏休みに郷里に帰ったときのことである。
人望に欠けた、カンナ屑のように薄っぺらなある同級生と出合った。キツネのような目をして、何かにつけて私に因縁をつけるストーカーのような人間だった。彼は一浪して明治大学に入ったことを大いに鼻にかけていた。そして、「昔から俺のほうがお前より成績がよかったからな」と口走ったのである。これには私は怒りよりも驚きが先に来た。私の眼中に彼などなかったし、あらゆる学科、あらゆる成績の面で、彼は私より格段に劣っていたのである。
なるほど、人間は「結果」で自己と他者を判断するのだ、と私は初めて了解した。彼が明治大学生になり、私が甲南大学生になったとたん、過去の事実を捏造し、私よりも秀才だったというデタラメな事実を作り上げ、私本人に宣言したのである。なんという単純な妄想、なんという単純なナルシシズムだろう。

この男の侮辱が私の休火山に火をつけた。あんな下等な人間に学歴で一生バカにされる人生というのは死んでも我慢できない。私は「一日に5時間、3ヶ月だけ受験勉強をする」と決意した。国語と英語はもともと得意だったので、問題は世界史だけである。
そこで、私は二冊の世界史の参考書を買ってきた。一冊は受験用のものの中で最も高度なレベルの参考書。もう一冊は、受験用ではなく研究者用のもので、受験にはほとんど役に立たない研究本だった。その二冊を平行して読みながら、私は「決して受験に出ない世界史」と題したノートを作った。
自分の能力を受験勉強という愚劣な行為に落とす、ということは、彼のようなバカな人間と同じ立場に立つことになるわけで、それは私のプライドが許さなかった。だから、私は、受験に出るはずの無い、よりトリビアルな、より研究的なノートを作ることで、世界史を「受験用」として暗記するのではなく「研究用」として学問したわけである。

面白いものだ。よりトリビアルでより研究的なノートを作っていくと、受験に出る程度の史実はいつしか頭の中に入っているのである。ノートは受験の一週間前に完成したが、その最後の項目は「朝鮮半島史」で、これは過去10年間の早稲大学第一文学部の問題にも、またほかの大学の受験問題にも出たためしのない範疇だった。私は朝鮮半島の歴史を頭に入れながら、これで受かった、と思った。

早稲田大学第一文学部、同教育学部、学習院大学史学部、と3つの学部を受験して、全てに合格した。どういうシステムになっているのか未だに不思議なのだが、受験をして外に出ると予備校が今出たばかりの問題の模範解答を配っているのである。私はそれを手にして、3教科ともほぼ満点であることを確認し、とくに世界史に関しては3学部とも完璧な解答だったことを知り、合格を確信した。
人品骨柄の卑しい男が傲慢なことを言わなければ、私は甲南大学を中退してフリーターにでもなっていたに違いない。仏教者はよく魔を味方にせよ(変毒(へんどく)為(い)薬(やく))というが、振り返れば、まさに私にとって彼は魔が変じた善神だった。

さて晴れて念願の早稲田大学第一文学部に入り、しかも当時芥川賞作家を輩出して最も人気の高かった文芸部を専攻した私は、意気揚々と文学部のスロープを闊歩していた。

ところで、当時詩壇は大学教授兼詩人が支配していて、詩心を全く持たない、観念的で引用の羅列だらけの作品が幅を利かせていた。私は、詩というものは作品のインスピレーションとなる詩的感動の体験と、読んで心に残るリズムがなければその作品に価値は無い、と信じていたので、「現代詩手帖」などの雑誌に載る彼らの作品には失望していた。
とはいえ、確か清水某というフランス語教授兼詩人の授業を受けて、作品を提出させられたことがあった。私は、東京の片隅のアパートで、一個のリンゴをかじりあいながら、そのリンゴを食べ終わったら死のうと決意している男女の心境や、都会の雑踏の様子を詩にして提出した。すると感想に「君の作品を読んでアポリネールの詩集『地帯』を連想しました。抽象化が強すぎる面があるので、もっと一般に分かりやすく具体的に書くようにするといいと思います」と感想が書いてあった。私は前衛詩の父親ともいえるアポリネールの作品を真面目に読んだことは無かったが、この批評には大いに満足した。



しかし一方で、私を心の底から落胆させる出来事が起こった。 当時の早稲田の文学部を牛耳っていたのは三島由紀夫の親戚に当たる教授で、私は彼の授業を受けていた。最初の授業で、梶井基次郎の『檸檬』について批評を書け、という問題が出た。『檸檬』と言えば純文学を志すものにとっては聖典の一つであり、一度ぐらいは臨書すべき名作である。私の大好きな作品でもあり、私は気合を込めて批評を書いた。
ところがその教授が、学生の書いた批評の中から一番おもしろい、と判断して読み上げられたのは以下のような文章だった。

「わたしは、ある漫画で『檸檬』を茶化したものを読んだことがあります。男が画集を山積みにしてその上にレモンを置いて本屋から出ようとすると、店員さんが「お客さん、元に戻してください。迷惑です」という内容の漫画でした。わたしも同じように思います。勝手に本を棚から出して山積みにされては困ると思います」

この小学生の作文のような文章を書いたのは、いかにも頭の悪そうな女性で、彼がこの批評を面白いと褒めると、小鼻を膨らませて、自慢げな顔をした。私は心の底から失望した。こいつらは『檸檬』の凄さというものを全く理解していないのである。
早稲田の文学部でさえ、この程度の学生にこの程度の教授なのだ。そういえば、当時早稲田の現役女子大生が芥川賞を獲ったが、若い女が中年男を手玉に取る、という「当て込み小説」だった。要するに、中年の男性審査員に媚を売った受け狙いの三流小説である。この当時、早稲田の文芸部に人気が集まったといっても、内容的には商業主義に接近したポップな小説が主流であり、すでにこの時代の早稲田文芸はジャンク化していた(「J文学」のJは、ジャパニーズではなくジャンクのJである)。稲垣足穂や梶井基次郎や太宰治を信奉する私のような人間は、早稲田では居場所がなくなっていたのである。
これを機に、私の早稲田大学に対する憧れはきれいに消えた。あとは、女を抱き、酒を飲む日々に溺れていった。当時私は女性に好かれる素質があり、実際複数の占い師に「あなたには女難の相があります」と言われ、その女難という言葉を私は好意的に解釈していたが、実際、抱く女には苦労しなかったものの、相手の女性は美人だが人格障害や神経症患者が多く、性的快楽の変わりに、山ほどの苦痛を体験した。酒と女の日々は、私が大学院に合格するまで続いた。

(見性体験記より)

梶井基次郎とは

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集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(決定版が出て既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げました) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531 電子出版される可能性もあることをお知らせします。

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 梶井 基次郎(かじい もとじろう、1901年明治34年)2月17日 - 1932年昭和7年)3月24日)は、日本の小説家感覚的なものと知的なものが融合した簡潔な描写と詩情豊かな澄明な文体で20篇余りの小品を残し、文壇に認められてまもなく、31歳の若さで肺結核で没した。

 死後次第に評価が高まり、今日では近代日本文学の古典のような位置を占めている。その作品群は心境小説に近く、散策で目にした風景や自らの身辺を題材にした作品が主であるが、日本的自然主義私小説の影響を受けながらも、感覚的詩人的な側面の強い独自の作品を創り出している。

梶井基次郎は当時のごくふつうの文学青年の例に漏れず、夏目漱石森鴎外有島武郎志賀直哉などの白樺派大正デカダンス西欧の新しい芸術などの影響を受け、表立っては新しさを誇示するものではなかったが、それにもかかわらず、梶井の残した短編群は珠玉の名品と称され、世代や個性の違う数多くの作家たち(井伏鱒二埴谷雄高吉行淳之介伊藤整武田泰淳中村光夫吉田健一三島由紀夫中村真一郎福永武彦安岡章太郎小島信夫庄野潤三開高健など)から、その魅力を語られ賞讃されている。(wikipediaより)

梶井基次郎の作品は大抵詠んでいますが、先日のブログ「浪人時代、学生時代」に書いたようにとりわけ「檸檬」は彼の代表作でしょう。散文の中に詩的表現が入ることと、一人称の小説(私小説)であることと、貧困、知的、ブルジョア的なものへの反発と憧れがこの小説の中に読み取れます。

詩的表現というのは(私が梶井基次郎風に書けば)、A子は複雑な微笑み方をした、と普通はかくところを、秋になり花弁の端が黄ばんできたバラの花のような、あるいは庇が大きすぎたために日が当たらず育ちの悪い朝顔のような、山陰にありながら瑞々しさが消えてしまったリンドウのようなA子の微笑みがラセン状のキリとなって私の目を刺した。

と言ったような詩的ながらかなりしつこい直喩が見られます。檸檬は文学を目指す人間なら臨書すべき作品であり、彼の作品は一通り読むべきですが、wikipediaを見ても分かるように女性には高い評価をする人がいません。それは小沢一郎と同じで彼の要望が原因だと私は思います。

 

 

禁酒をせずに糖尿病と慢性アルコール性肝炎を治した話

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これから書く話は以前ブログに似たようなことを書いたかもしれませんが、改めて思い出したことを書き残すことにします。

まだ離婚せず、大学の非常勤講師で、見性体験をした後の話です。血液検査をしたところ、γーGTP(肝臓が壊れている数値です。正常値は男性の場合70とされています)が500を超え、H-a1c(血糖値の月平均の値です。正常値は6とされています)が10と出ました。医者はこのままだと昏睡(突然意識不明になること)するといって治療を受けることになりました。

管理栄養士がついて毎日野菜を食べること等々の注意をしてくれました。私はそれでも酒を止めることなく、結果的に糖尿病と慢性アルコール性肝炎を治したのですが、その間に行っていたことを述べましょう。まず、毎日坐禅を組んでいました。次いで1年半の間、毎日ウォーキングを続けました。私の家から歩いて15分ほどのところに野球ができるほどの広場があるのですが、片道15分かけてその広場に行き、操体(日本医学の一つです)の運動と養神館の基本動作をしてまた15分かけて家に戻りました。ウォーキングは始めると依存症のような状態になってウォーキングを止めることが出来なくなります。ですから雨の日も雪の日もウォーキングを続けました。そういう時は橋の下の雨の当たらない場所で養神館の木刀を持って行う演武を傘で行ったものです。中学生ぐらいの子供たちが面白がって見に来たことを覚えています。

そして風呂に入ると決まって午後5時には家を出て三崎町の「金太郎 村」という居酒屋に行きました。三和交通の運転手に聞いたところでは5時にタクシーに乗った時にはもう缶ビールを飲んでいたそうです。その居酒屋は村田忠男というレッスンプロで有名な人がオーナーで、彼の教え子の中には広島カープの投手だった川口や歌手の日吉ミミなどがいました。

ちなみに八王子に黒糖焼酎を広めた最初の人間は私です。映像作家の山崎幹夫と一緒に奄美諸島の酒蔵から全ての黒糖焼酎の銘柄を取り寄せ、一番おいしくて値段が手ごろなのは「里の曙」の紙パック、高いけれどコクがあるのは「朝日一の条」と判明しました。そこで入る居酒屋ごとに黒糖焼酎を勧めて回ったものです。その話を里の曙にしたところ、喜んでオリジナルのグラスを一ダースもらいました。今でもキッチンを整理すれば出て来るでしょう。

ところで「金太郎 村」には西八王子にある確か「松本消化器内科」の院長が常連で来ていました。その人に禁酒せずに糖尿病と慢性アルコール性肝炎を治した話をして、血液検査のデータを持っているので学会で発表したらどうですか?と尋ねたところ、「我々が研究発表をするのは新薬を作るためです。ということは薬を飲んで一般の人が治るというデータが欲しいのですから、あなたのような異常体質の研究をしてもお金になりません」と言われました。

現在も基本的に毎日坐禅を組んでいますが、H-a1cはほぼ正常ですが、γーGTPはやや高いようです。飲んでばかりいるので当たり前のことですが。


私が八王子市に提出した訂正要求の別紙2と別紙1の結論部分を公開します。

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訂正請求・別紙②

 

私と創価学会の闘争と妻子失踪、母の監禁の記録(時系列)

 

私が早大と東京工芸大で非常勤講師を務めていたのは2001年4月から2009年3月まで。

 

2006年5月 芥川賞作家兼禅僧の 玄侑宗久師(同い年)の助言などにより見性体験を繰り返し、「微笑禅の会」(非宗教)を設立。全国から入会者が集まる。同時に「東村山市議不審死事件」の究明を所謂「ネトウヨのカリスマ}瀬戸弘幸氏らに呼びかけ、街宣、シンポジュームなど繰返す。

 

同年7月 HPに「創価学会批判の要諦」の一文を書き「創価学会批判のバイブル」と言われネットで話題となる(「創価学会 批判」で検索をかけると170万以上ヒットする中のベスト3に入っていた。本名で書いたのは私だけ)。私のHPは微笑禅の会会員とアンチ創価の溜まり場のようになり非常に賑わっていた。

 

2008年4月 HPの常連に成りすましていた創価学会工作員二名(織田高敏と八木一仁)が、池田大作は立派な人間だ、などと発言したために一斉に批判され、別のHPで母を「従軍慰安婦」私の研究を「価値が無い」等々、繰り返し名誉毀損をしたため提訴し勝訴。ちなみに母は助役の娘の上、軍属(兵隊と同じ地位の文官)証明書を持っている。

 

同年9月 同じ被告が名誉毀損と脅迫を繰返すために再度本人訴訟を行い立川地裁敗訴、2009年9月上告敗訴。被告の一人は静岡からわざわざ愛媛に住む母の家まで来て「売春婦」と罵倒。もう一人は松山から審理中に母の家に来て脅迫。また隣町の創価学会青年部が本名を名乗り(一人は山本)3度も母の家に来て脅迫。これらには複数の証拠と目撃証言があった。(被告は裁判を通して間一度も出廷せず。決定的な証拠を提出したが事実審理も全くなし)。   

 

なお、松山地裁で被告の一人(織田高敏)が私を相手取って起こした名誉毀損裁判は本人訴訟により私の完全勝訴で、東京の地裁、高裁、最高裁と逆の結論が出ている。

 

2009年3月 東京工芸大を退職し、全ての能力を事業に注ぐことを決意し、大きな債務を抱え、様々な資格を取得し、心身の限界で孤軍奮闘する。妻は精神的な病気(ADD)が進み廃人のようになって会話も少なくなる。ちなみに妻の母親一族は熱心な創価学会員。妻は帰郷中に母の預金400万円を盗んでいる。

 

同年8月 妻子失踪、DVシェルターから出た後、約2年の住所不明期間を経て現在青梅市在住(DVシェルターは最高でも2か月までしか住めない。この間は義父母にさえ非通知で一方的に連絡するのみ)。この間、子供達から一度も連絡なし。長男は立川の家裁で最初は母が上京したと聞いて「激しい動揺を見せている」とのことだったが、次いで「お婆ちゃんがいたことを思い出せない。顔を知っている人が居たら一緒に会いに行きたい」と証言。子供と母は頻繁に電話で話し、母は年に一度は上京して私のマンションに泊まっていたので記憶から消えることは通常ありえない。なおDVシェルターへの保護は妻への叱責を「言論の暴力」としたもので、保護命令(妻子や妻の親などとの接見禁止)は出ていない。

 

同年9月 私個人に対する専門中傷ブログが立ち始める。(私の名前で検索すると3万以上ヒットするなかトップに位置する)

 

2010年4月 母が八王子市高齢者福祉課により1ヶ月の監禁。虚偽を重ねて私の虐待と断定したもの。伊藤市議に助け出される。

 

同年6月 母救出直後、私が肝硬変、糖尿病などを併発して2週間の危篤に陥る。糖尿病のために開腹手術が出来ず、名医の神業と不思議な力が働き奇跡的に蘇生。入院中に占有屋的な存在となる夫婦が入居。

 

以後、入退院を繰返し、歩行障害リハビリ中。 

 

この間集団ストーカーと言われるもの、尾行、盗聴、風評被害、など日常的に繰り返される。伊藤市議の後援会連連絡所の看板破損、立小便事件。NTTの光フレッツの外付け保全器のカギがこじ開けられ電源が落とされる。その様子はビデオに録画していたが偽被害者が次々に現れカメラごと盗まれる。何度か泥棒に入られ金庫の中の実印など盗難され、八王子警察刑事課を呼ぶが「盗難前の状況が分からないから事件にならない」との理由で無視される。などなど、多すぎて書きれない。

 

尚、私の従兄(母の妹の子供)が創価学会本部職員で、これらの事件の最中に帰郷し「創価学会が尚史君を第一の標的にしている」と発言。これを聞いた叔母の証言は手元にある。

 

西村修平氏、瀬戸弘幸氏ほか、かつて盟友関係にあった人々は刑事と民事で創価学会に訴えられ有罪になったが、私は東村山事件に「行動する保守」が連帯するきっかけを作ったことさえネット上から消されている。これらの経緯から八王子市と創価学会が一体となり、妻子をDVシェルターに入れて洗脳し、母を保護措置として監禁し、「全てが私の粗暴な性格に起因する」と筋書きが出来ていると推理している。

別紙1の結論部分

最後に再度要点を整理する。

①審査会は私が提出した参考人招致を拒否したことに対し謝罪すること。

②審査会は谷渕が創価学会員或いはそのシンパであるかないかを証明すること。

③私と母に関する個人情報を全て削除すること。

④実施機関の長である八王子市長は辞職すること。

 

以上。

 八王子市役所

 

私が八王子市に提出した訂正要求の別紙1の前半部分を公開します。

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別紙① 那田尚史 訂正請求

 

  先ず、私が出す訂正(削除)請求にも、同時に出す母(那田満留)の訂正(削除)請求にも共通する点について記すことにする。

 

  保護措置の起案者の名前を誤記した部分があるが、今後は谷渕に統一する。

 

  また訂正請求を認めなかった論拠についてこれからその過ちを述べることにする。

 

 法制課は25八総法収第96号において「個人情報条例第10条が「実施機関は、利用目的の達成に必用な範囲内で、個人情報が過去又は現在の事実と合致するように努めなければならない。」と規定していることに鑑みれば、訂正請求の対象になるような個人情報であっても、「利用目的の達成に必用な範囲」を超える場合には実施機関は訂正義務を負わないものと解される」の意味を、  これを本件についてみると、前記の①から記載⑤までについては、上述のとおり異議申立人の発言として市職員が録取したものであり、当該発言内容は、市長が異議申立人に対して行った過去の措置に関わるものであるところ、当該発言内容の訂正を認めた場合、市長が、どのような事実を認識した上で当該措置の実施を決定したかという判断課程の検証を後日行うことが困難となるおそれがあることから、本件訂正請求は、「利用目的の達成に必用な範囲」を超えるものに当たることとなる。としている。

 

  しかし私が総務省に聞いたところ、「それはおかしい。その時々の記録はコンピューターの中にも残っているし、開示されたあなたの文章も手元にあるではないですか」と答えた。これに対し法制課の篠原氏は総務省の見解や通達は指導的助言に過ぎない、と答えたが指導である以上は無視していいわけでは無く、従うのが当然のことである。

 

 また開示された公文書は一旦コピーすると私文書になるとも述べたが、このような詭弁は法制課という重要な立ち場にある人間が発することではなく、篠原氏の人格と資質を疑うものである。

 

  次いでhttp://www.soumu.go.jp/main_sosiki/gyoukan/kanri/question08.html#8-2 (総務省 行政機関・独立行政法人等における個人情報の保護<8 訂正請求>)のQ2とQ3によれば以下のような文言を見ることが出来る。

 

  Q8-2
評価に係る事項についても訂正請求の対象となり得るのですか。

 

A

 

 保有個人情報の訂正請求は、「内容が事実でない」と思料する場合に行うことができることとされています。このため、その対象は「事実」に限られ、評価・判断には及びません。ただし、評価した行為の有無、評価に用いられたデータ等は事実に当たりますから、訂正請求の対象となり得ます。

 

 

 

Q8-3
訂正決定に基づき訂正を行う場合には、どのような方法で行うのですか。

 

A

 

 保護法には、保有個人情報の訂正の方法について、特別の規定はありません。各行政機関の長は、保有個人情報の利用実態等に応じて、

 

1) 不正確な個人情報が記録された行政文書を廃棄して新たな行政文書を作成する 2) 不正確な部分を上書き更新する 3) 不正確な部分の痕跡が分かるように見え消しを入れる

 

 などの方法により、保有個人情報の訂正を実施することになります

 

 とある。ところが法制課の決定25八総法収第96号では、「訂正請求の対象となる「事実」とは、客観的に正誤の判断が行われるものに限られ、個人の認定、評価、意見等の主観的な価値判断に関する事項は含まれないものである」としている。これは総務省の事実の定義に真っ向から対立するものである。また評価は前提として主観的判断があるわけだから、客観的数量的判断しか認めないという考え方はそもそも無理があり評価や判断の元になった事実をよく見極めるべきである。

 

 従って法制課は今後の決定において個人情報条例第10条を総務省の見解を無視することなく恣意的に解釈しないこと、並びに

 

保有個人情報の訂正請求は、「内容が事実でない」と思料する場合に行うことができることとされています。このため、その対象は「事実」に限られ、評価・判断には及びません。ただし、評価した行為の有無、評価に用いられたデータ等は事実に当たりますから、訂正請求の対象となり得ます。」との総務省見解を遵守することを請求する。これは合法的かつ常識的要求である。

 

 次いで所謂高齢者虐待法と老人福祉法の法令を参照することにより、高齢者福祉課が私の母・那田満留を保護措置にしたことと、法制課の決定がいかにこれらの法令に違反しているか、具体的に記すことにする。

 

  高齢者虐待法の第二条4の一には高齢者に対する虐待の定義が書かれているが、全て事実と異なっている。以下具体的に指摘する。

 

  この法律において「養護者による高齢者虐待」とは、次のいずれかに該当する行為をいう。一 養護者がその養護する高齢者について行う次に揚げる行為

 

イ 高齢者の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること。(事実と全く違っている。本当なら証拠を見せよ)

 

ロ 高齢者を衰弱させるような著しい減食又は長時間の放置、養護者以外の同居人によるイ、ハ又はニに揚げる行為と同様の行為の放置等養護を著しく怠ること。

 

ハ 高齢者に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応その他の高齢者に対し著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。(これも事実と全く異なっている。この訂正要求は母による強い意志を受けて私が作成しているからである)

 

ニ 高齢者にわいせつな行為をすること又は高齢者をしてわいせつな行為をさせること。(話にならない)

 

(当時は社協のうぃずサービスにお金を出して家政婦が来てただけでなくニチイのデイサービスに通わせていたのだから、これらは全く当てはまらない。このようなオープンな環境で保護措置と称し、母を監禁することのできる法令を示すこと)

 

 第二条ニ 養護者又は高齢者の親族が当該高齢者の財産を不当に処分することその他当該高齢者から不当に財産上の利益を得ること。(全く事実と異なる。あるとすれば証拠を見せよ)

 

 第六条 市町村は、養護者による高齢者虐待の防止及び養護者による高齢者虐待を受けた高齢者の保護のため、高齢者及び養護者に対して、相談、指導及び助言を行うものとする。(全く無かった。あったとすれば証拠を見せよ)

 

 第十一条 市町村長は、養護者による高齢者虐待により高齢者の生命又は身体に重大な危険性が生じているおそれがあると認めたときは、介護保険法第百十五条の四十六第二項の規定により設置する地域包括支援センターの職員その他の高齢者の福祉に関する事務に従事する職員をして、当該高齢者の住所又は居所に立ち入り、必要な調査又は質問をさせることができる。(この文章を読む限りでは義務ではないものの、立ち入りや一切の調査や質問は無かった。あったとすれば証拠を見せよ)

 

 第十二条 市長村長は、前条第一項の規定による立ち入り及び調査又は質問をさせようとする場合において、これらの職務の執行に際し必要があると認めるときは、当該高齢者の住所又は居所の所在地を管轄する警察署長に対し援助を求めることができる。(義務ではないものの一切無かった。あったとすれば証拠を見せよ)

 

 第十二条3 警察署長は、第一項の規定による援助の求めを受けた場合において、高齢者の生命又は身体の安全を確保するため必要と認めるときは、速やかに所属の警察官に、同項の職務の執行を援助するために必要な警察官職務執行法(昭和二十三年法律第百三十六号)その他の法令の定めるところによる措置を講じさせるよう努めねばならない。(この文言を見ると義務と解されるが、このような措置は一切なかった。あったとすれば証拠を見せよ)

 

 第十四条 市町村は第六条に規定するもののほか、養護者の負担の軽減のため、養護者に対する相談、指導及び助言その他必要な措置を講じるものとする。(これは義務と解されるが全く無かった。あったとすれば証拠を見せよ)

 

 ついで老人福祉法を参照しながら八王子市高齢者福祉課が私の母・那田満留を保護措置にしたこと、および法制課の決定がどれほど法令を違反しているか証明することにする。

 

 老人福祉法第10条の3の2 市町村は、前項の体制の整備に当たっては、六十五歳以上の者が身体上又は精神上の障害があるために日常生活を営むのに支障が生じた場合においても、引き続き居宅において日常生活を営むように配慮しなけらばならない。(これは義務であるが、一切配慮されて無かった。配慮したとすれば証拠を見せよ)

 

 第10条の四 市町村は、必要に応じて、次の措置を取ることが出来る。一 六十五歳以上の者であって、身体上又は精神上の障害があるために日常生活を営むのに支障のあるものが、やむを得ない事由により介護保険法に規定する訪問介護(中略)を利用することが著しく困難であると認めるときは、その者につき、政令で定める基準に従い、その者の居宅において第五条の二第二項の厚生労働省令で定める便宜を供与し、又は当該市町村以外の者に当該便宜を供与することを委託すること。(とあるが、当時は母は社協のうぃずサービスを利用して家政婦さんが来ていた。嘘だと思うなら証拠を見せよ)

 

第11条二 六十五歳以上の者であって、身体上又は精神上の障害があるために日常生活を営むのに支障のあるものが、やむを得ない事由により介護保険法に規定する通所介護(中略)を利用することが著しく困難であると認めるときはその者(養護者も含める)を、政令で定める基準に従い、当該市町村の設置する老人デイサービスセンター若しくは第五条の二第三項の厚生労働省令で定める施設(以下「老人デイサービスセンター等」という)に通わせ、同項の厚生労働省令で定める便宜を供与し、又は当該市町村以外の者の設置する老人デイサービスセンター等に通わせ、当該便宜を供与することを委託すること。(とあるが、当時は母はニチイのデイサービスセンターに通っていた。嘘だと言うなら証拠を見せよ)

 

 続いて平成18年4月厚生労働省 老健局 が発行した「市町村・都道府県における高齢者虐待への対応と養護者支援について」という文書を見ていくことにする。

 

 15頁「その6 適切に権限を行使する」の項によれば、

 

「高齢者虐待防止法では、虐待によって生命又は身体に重大な危機が生じているおそれがあるとみとめられる高齢者を一時的に保護するため、市町村が適切に老人福祉法の規定による措置を講じ、又は成年後見開始の審判の請求をすることを規定しています」とあるが、保護措置の名目は「経済的精神的虐待」であり、またそれすら母親を否定している。従って生命又は身体に重大な危機が生じていなかったことは明らかである。母本人がそれを否定し、情報公開と訂正要求を望んでいるのだから、これほど明白な証拠は無い。

 

 44頁 1)事実の確認の必要性 の項には

 

「事実の確認については、訪問面接による確認の他、市町村内の他部局、介護支援専門員や介護保険サービス事業所、民生員など当該高齢者と関わりのある機関や関係者から情報収集し、高齢者の状況をできるだけ客観的に確認するようにします。」とあるが、当時通っていたデイサービス(ニチイ)や民生員に情報を収集していたのであれば保護措置など絶対に無かった筈である。これらの人たちから情報を収集したというのであれば証拠を見せよ)

 

 45頁 4)関係機関からの情報収集の項には次のようにある。関係機関から収集する情報の種類等の例、として、

 

・家族全員の住民票

 

・戸籍謄本

 

・生活保護の有無

 

・生涯部局、保健センター等での関わりの有無

 

・地域包括センター等の関わり、相談歴

 

・介護保険サービスを利用している場合は、担当介護支援専門員や利用している介護サービス事業者からの情報(つまりニチイのケアマネ・佐藤恵美氏に情報収集したかどうか、という意味)

 

・医療機関からの情報

 

・警察からの情報

 

・民生委員からの情報

 

 とある。こららの機関から情報を収集した証拠を見せよ。

 

 46頁 5)訪問調査の項には次のようにある。

 

(意訳)虐待の事実を訪問調査するときは本人に拒絶されることが想定されるために次のように配慮すべき、として、「このようなときには、高齢者や養護者・家族等関わりのある機関や親族、知人、近隣住民などの協力を得ながら情報集を行ったりサービス利用をすすめるなどの策を講じるなど、継続的に関わりながら徐々に信頼関係の構築を図ることが必要になります。」とあるが、すでにデイサービスを利用していただけでなく、佐藤恵美ケアマネの意志を無視して突然保護措置になったものである。また私と母親族、知人、近隣住民の協力も得ていない。嘘だと言うなら証拠を見せよ。

 

 47頁 (訪問調査を行う際の留意事項)〇信頼関係の構築を念頭に、の項には次のようにある。

 

「高齢者本人や養護者と信頼関係の構築を図ることは、その後の支援にも大きくかかわって来る重要な要素です。そのため、訪問調査は虐待を受けている高齢者とともに養護者・家族等を支援するために行うものであることを十分に説明し、理解を得るように努力することが必要です。」と、あるが、全く何の説明もないまま、母親が洗濯物を取り出そうとして自損事故を起こし、ショートステイに入った瞬間保護措置にしたものである。これは厚生労働省の通達を完全に無視したやり方で到底許すことは出来ない。

 

 同頁 〇高齢者や養護者の権利、プライバシーへの配慮の項には次のようにある。

 

「訪問調査→措置入所時・・養護者不在時に訪問調査や高齢者の保護を行った場合は(那田尚史注:私たち親子の場合はまさにこれに当たる)訪問調査や保護の事実と法的根拠、趣旨、不服申立て手続きの教示(保護した場合)、および連絡先等を明記した文書を分かりやすい場所に置いておく。置く場所は第三者の目に触れないところ。」とあるが、保護措置の事実を知ったのは町内会長の塚本道男氏によるものであり、これらの配慮は全くされていない。したと言うなら証拠を見せよ。証拠が無い場合、高齢者福祉課は何らかの形で賠償責任を負うべきである。

 

 48頁 〇調査の継続性の確保の項に次のようにある。

 

・一方的に虐待者を悪と決めつけず、先入観を持たないで対応する。

 

・介護負担軽減を図るプランを作成する。

 

・介護者の介護負担をねぎらいながら、問題を一緒に解決することを伝えながら情報収集に努める。

 

・自分の価値観で判断しない。

 

とあるが、これが本当に実施されていたら今回のような情報開示と訂正要求を繰り返す必要は無かった筈である。

 

 以上は今後訂正(削除)請求をする上で、高齢者福祉課並びに法制課がいかに法令や厚生労働省の通達を無視していたかを示したものである。

 

 これほど違法行為を働いてまで何故母を保護措置にしなければならなかったのか(私はその裏の理由は分かっているが)、常識的に考えても異常としか考えられない。

 

 八王子市個人情報保護条例では

 

「第58条 実施機関の職員又は職員であった者が、その業務に関して知り得た個人情報であって公文書に記録されたものを自己若しくは第三者の不正な利益を図る目的で提供し、又は盗用したときは、1年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する」と明瞭に書かれているにも関わらず法制課の篠原氏は罰則は警察が行うべきもので我々には権限が無い、と言った。しかし、警察で行うものであれば八王子市個人情報保護条例にそもそも記す必要が無いはずである。法制課が警察に罰則を適用してほしい旨、仲介の労を取るのが当然ではないか。

 

 また個人情報審査会の答申個第46号4頁には「申立人は「那田尚史面接等記録(平成22年5月6日)」における申立人の「妹二人が上京したと言った」旨を尚史が述べたとの記載について、「私を助け出したい一心から出たことで、当然のことと思います」と主張するが、同主張が訂正を求めるものかどうかはともかくとして、そものそも同文書は尚史に対して開示したものであって、「第20条第1項の規定による開示の決定に基づき開示を受けた自己の個人情報}(条例25条)に該当しないため、訂正請求することはできない」と書いているが、私の平成22年5月6日に開示された文書にはそのようなことは全く書かれていない。大半が墨で塗りつぶされている。その記載があるのは母・那田満留に開示された文書<那田満留 面接等記録>の平成22年5月6日にあるのだから、審査会は何を読んだのか疑問に思う。この審査会答申は取り消し、母の訂正請求を認めるべきである。(法制課の最後の決定が出た後の全開示部分には私の発言として記録があるが、事前に私がこれを読むことは不可能である)

 

 さらに25八総法収第96号の法制課の決定には(2)これを本件についてみると、本件答申における

 

ア 記載①(「那田満留に関する経過」及び「平成22年4月26日以降面接等記録」中の平成22年5月6日(木)記載部分における「尚史が所有しているマンションの購入資金4,000万円を私が全て払った」旨を異議申立人が述べたとの記載)

 

イ 記載②(「平成22年4月26日以降面接等記録」中平成22年5月6日(木)記載部分における「愛媛でも酒で暴れたりして親戚には面倒をかけてきた」旨を異議申立人が述べたとの記載)

 

ウ 記載③(「平成22年4月26日以降面接等記録」中の平成22年4月26日(月)記載部分における「両腕が居たくて眠れない。猫がお漏らしした布団を洗濯してそれを干すように言われて肩を痛めた」旨を異議申立人が述べたとの記載)

 

エ 記載④(「那田満留に関する経過」及び「平成22年4月20日以降の経過」中の5月11日(火)記載部分における「家には帰りたくない」又は「この施設に留まりたい」旨を異議申立人が繰り返し述べたとの記載)

 

オ 記載⑤(「平成22年4月26日以降面接記録」中の平成22年4月26日(月)記載部分における「21年の8月に八王子来てから、尚史の面倒をみるのにがんばりすぎてしまい、11月に右田病院に救急車で運ばれ、腰の骨折が判明した」旨を異議申立人が述べたとの記載)

 

については、異議申立人の発言として市職員が採取したものであり、客観的に正誤の判断が行える、と記されている。

 

 冷静にア~オを見るとどこに客観的に正誤の判断が行えるのだろう。これらはほとんどが証拠をつけて反論済みの事柄である。要するに市職員が採取或いは記録したものは正しいという前提に立った決定であり、これは身内の庇いあいと言われても仕方ない。

 

 これら一連の今回の母親の保護措置に係わる高齢者福祉課、審査会、法制課の対応は「ためにする」ものであり、悪意の感情に基づいていると言わざるを得ない。

 

 一言で言えば、虐待を受けた母・那田満留本人が「虐待を受けていない」と主張しているのだからこれほど明白な証拠は無い。以上は、私の後に訂正(削除)請求を提出する母親も同じ文章を冒頭に記すことを前もって知らせておく。

八王子市役所

私が八王子市に提出した訂正要求の後半部分を公開します

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集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(決定版が出て既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げました) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531 電子出版される可能性もあることをお知らせします。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。今日の「春名先生を囲む会」でも病院でも治らなかった膝や肩の痛い人をその場で治すそうです。心当たりのある方はぜひ参加して下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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 次に私に開示された個人情報における事実の過ちを示すことにする。既に論証した通り、客観的数量的なものでなくても評価やその原因となる判断も事実と異なる以上は訂正(削除)請求の証拠になることを前もって述べておくことにする。

 

 先ず第一に私に開示された個人情報を見るとあちこちに私が酒を飲んでいることを鬼の首でも取ったように非難しているが、これはかつては愚行権といい現在は幸福追求権として憲法で許されていることである(甲第1号証参照のこと)。また元市議の伊藤先生が証言されている通りアルコール依存症かどうかは医者にしか分からないのだから高齢者福祉課が決めつけるのは誤りである。6頁には「アルコール依存症や精神病などの判断は行政や個人がするものではなく、医師が診断する者であると思います。もし、公文に記されているとしたら、適当でないと思います。訂正が必要と考えます」と述べられている。

 

従って「アルコール依存症」並びに「精神病」と書かれた部分は全て削除を要請する。

 

更に伊藤先生は謙虚な回答をしているが、伊藤先生が母親を引き取った後に後援会連絡所の看板を外されて傷だらけにされたり、ヤクザ風の男たちが看板に小便を掛けて逃げたり、送迎の車が淡だらけになっているのは、母の保護措置が組織的な陰謀であったことを示すものである。更にフロイトなど自我心理学では「人間の性格は変わらないただ繰り返すのみ」と主張するが3頁には「平成22年5月21日以降現在まで満留様よりDV等の訴えはありません」と書かれている。(甲第2号証参照のこと)。

 

当時の私は妻子が突然失踪し、それを知った母が私を介護に来た時も創価学会の工作員を最高裁まで追い詰める裁判をしていた。その証拠は織田高敏が平成20年1月12日に東京地裁八王子支部に提出した「答弁書」を追跡すれば分かる。また、所謂「行動する保守」のメンバーに「東村山市議暗殺疑惑事件」の問題を最初に持ちかけ街宣をしたり自殺と判定した裁判官を裁判官弾劾裁判に掛けようとしたことなどから「創価学会が第一の標的」にしている状態にあった。それは既に提出した母の妹・山田扶亀子の証言に書いてある通りである。そういう状況の中で、私が母を保護措置にした谷渕に「あなたは創価学会員ですか?」と聞いたところ、「答える必要はない」とのことだったが、本当に創価学会員で無ければ「違う」と答える筈である。従って、妻子の突然の失踪から母の不当な保護措置を俯瞰的に見れば、既に提出した山田扶亀子の証言(必要なら再度提出する)にあるように私は「創価学会の第一の標的」だったのだから、全てが創価学会の仕組んだものと言わざるを得ない。

 

 当時の私の心境は以下の通りである。離婚調停の時に元の妻に付いた代理人の弁護士、福沢法律事務所の松倉武史は「平成22年(家イ)第493号 夫婦関係調整調停事件」に置いて家事審判官・寺田さや子氏から、「夫婦の問題と子供の問題は違うのだから子供には自由に電話を掛けさせるように」と松倉弁護士に口頭で伝えたが、後日松倉弁護士に電話を掛けさせるように言ったところ「そんな話は聞いてない」と嘘をつかれた。現在は面会交流を明記するように法律が変わったが当時は面接交渉権と言って明記する必要が無かったからである。更に口頭では面会させるように言いながら「調書(成立)」にはそのことが書かれていないという狐に包まれたような裁判だった。

 

 このように状況にあったために、私は松倉と谷渕を殺せば、元早稲田大学の非常勤講師が殺人を犯したとしてマスコミが創価学会の不正を追及するだろうと思った。母は保護措置として無料で暮らせるし、私は警察病院で体の治療が出来るからである。しかしこのようなことをすると現在所有している第一那田ビルが競売に合い財産を子供たちに残せないのは間違いないために酒を飲んで必死に我慢していたのである。従って私が酒を飲んでいなければ二人が死んでいたことになる。

 

 これから私に開示された個人情報の事実の誤りを糾していくが、当時そのような心境にあったことをご理解願いたい。

 

 先ず全開示の部分から事実の誤りを検証していくことにする。2010年4月22日の市よりには「本人の相談(アルコール依存症・精神病?)についての窓口は、八王子保健所になるため電話番号を伝えた所、これから電話しますと話していた」

 

 と書かれているがアルコール依存症は伊藤先生が記されている通り医者が決めることであり、精神病の人間は自分で精神病と言わないのが常識である。よって保健所に電話したと書かれているのも高齢者福祉課の作文と断言せざるを得ない。従ってこの部分の削除を請求する。

 

 次いで<那田尚史面会等記録>平成22年5月6日(木)午後2時30分から3時30分<那田満留の息子に自宅にて面接>のなかに「本人の希望で、映画時代のパートナーという松下という女性(30代)が同席」とあるが、松下さんは映画時代のパートナーではなくインテリアコーディネイターである。このことを調べたければmuen@wolf.email.ne.jp から松下さんのことに詳しい山崎幹夫に問い合わせること。従ってインテリアコーディネイターと訂正することを請求する。これ一つ見ても高齢者福祉課の面接等記録がいかにいい加減なものか分かる。

 

さらに「一昨日の昼間に転寝をしていたら3階の窓から入られ鍵を盗られた」と記してあるがこれも全く事実と異なっている。302号室は入居者が退去した後、ドアを閉めると油を引き過ぎていたために自動的にフックが掛かるようになっていたため、私自身が窓を壊して302号室に出入りしていたものである。従って「一昨日の昼間に転寝をしていたら3階の窓から入られ鍵を盗られた」の部分を削除することを請求する。また「母が肩を痛めたのは、母が漏らして汚したふとんを干し取り込むのに痛めたものである」とあるが真相は猫が布団を濡らしたのを私が「もう直ぐうぃずサービスの大木さんが来るから」と言って止めるのを無視して母が洗濯しそれを取り出そうとして肩を痛めたものである。これに付いては母の訂正(削除)請求の中に証拠があるのでそれを参照され、訂正を請求する。

 

 更に「アルコールは三井クリニックにて受診していた。あわせてうつ病、肝機能障害も治療を受けていた」と私が述べたことになっているが、アルコールは、の意味は不明である。その時にはうつ病は(坐禅による見性体験により)完治しており、肝機能障害は診療内科では出来ない。これは当たり前のことだが念のために三井クリニックの電話番号を記すので確かめること(042-621-4560)。従って「アルコールは三井クリニックにて受診していた。鬱病、肝機能障害も治療を受けていた」の部分は削除を請求する。

 

 更に「自立支援も受けていた」と述べているがこのように自分が不利になることを殺そうと思っていた相手に言うはずがない。実際は見性体験のあと鬱病が治って逆にハードワークをしては倒れるを繰り返していたために軽い躁うつ病になっている。このような記述をするのは(後でも出て来るが)谷渕が創価学会の手先となって私の身辺を調査していた証拠である。

 

 「また、息子を殴ったといわれたがこれは妻と子しか知らないのになぜ知っているなどと交渉に駆け引きをしている様子があった」と記されている。しかし私は息子を殴ったことは一度もない。必要ならば妻子が住む住所を提出するのでそこに問い合わせること。従って「息子を殴った」等の表現の削除を請求する。

 

 更に電話で谷渕はこれで勝負がついたとばかりに誓約書の存在を指摘した。誓約書には次のように書いている。

 

「母が万一、私と暮らすのを拒んだ時は、元の保護のための措置にお任せします」しかし、母が私と暮らすのを拒むわけがないからこそ、ありえないという前提の下で「万一」と書いているのである。この意味が分からないような人間が起案者になっていること自体八王子市の行政に欠陥があると言わさるを得ない(伊藤先生の証言書6頁を読むこと)

 

 誓約書の次の頁に出て来る私の文章の中に④「僕が母ちゃんを放置した(ご飯を食べさせなかった)と役人が云っている。⑤母ちゃんが「昼から少しは酒を飲め」と言わなかったと、役人が云っている。ウソだと証言して。

 

とある。これは谷渕が「あなたは母親を殴ったでしょう。ご飯も食べさせなかったでしょう。お小遣いを上げないのも暴力ですよ」と私と母に言い続け、そんなことはしていないから母親と電話させろ、と言っても「話だけは聞いておきます」と言って来た経緯が分からないと理解できないだろうが、④の「ごはんは食べさせなかった」と役人が云っている。ウソだと証言して、の真相は「殴る」、「小遣い」、という漢字が思い浮かばなかったために、ご飯をたべさせなかった、のみを記したものである。

 

 またこの時の真相は、私が画用紙を用意して「僕が殴ったことがあるか」「僕が食べさせなかったことがあるか」「小遣いを上げなかったことがあるか」と大書し、母に✖印をさせたものである。

 

  更にノンブル16の<那田満留・尚志・面室等記録>には3か所尚史が尚志のままになっている。これは明白に客観的過ちだから問題なく訂正すべきである。この中に「五月24日に離婚の調停があり、息子が帰ってくる予定であり、那田家の長男が戻ってくる。孫と一緒に住めるようになる。一緒に住んで家に月6万円入れるといっている」と私が語ったことになっているが、これも飛んでもないデタラメであり、今でも息子は帰っていない上に息子から家賃など取る筈がない。息子が大学を受験するためなら私の保有する第一那田ビルを売却してもいい、と言ったほどである。嘘だと思えば当時委任し後日解任したひめしゃら法律事務所の杉野公彦弁護士に聞くこと。 042-548-8675 従って、息子が帰ってくる予定であり、那田家の長男が戻ってくる。孫と一緒に住めるようになる。一緒に住んで家に月6万円入れるといっている」の部分の削除を請求する。

 

 以上で全開示部分における訂正(削除)請求を終え、次いで部分開示部分における訂正(削除)請求に移ることにする。

 

 既に記したように、これは池田大作のいう「創価学会を批判する仏敵は野垂れ死にするまで攻め抜け」という有名な言葉に沿った作文なのでまともに訂正(削除)請求をかけるのは馬鹿馬鹿しくなるが、仕方なく明らかな(客観的、数量的なものだけでなく、判断と評価)の異なる事実をしていくことにする。

 

 平成22年4月28日(水)には(前略)「これから連休に入るので、その間はお母さんをちゃんと見守りのある安全な場所でお預かりするので安心して下さいと言うと、最後は分かりましたと言った」と書かれているが、私は母親を出せてと言い続けているのだから、「分かりました」などと言うわけが無い。従って「分かりました」の部分を削除することを請求する。

 

5月6日(水)(ノンブル6)には「尚史宅を訪問すると、名前は名乗らなかったが、尚史のアシスタントで、以前から映像技術の関係でお手伝いしていたと言う20代後半から30代の女性がいて」と書いてあるが、これは既に述べたように真っ赤な嘘であり、インテリアコーディネイターである。既述した通り山崎幹夫のメルアドから確かめ、「以前から映像技術の関係でお手伝いしていたと言う」の部分を訂正することを要求する。

 

同日「満留に会い、鍵を受け取り尚史に届ける。女性から、早速保健所に電話したらこれから来てくれると言うので、立ち会うとのこと。尚史に鍵を渡すと、握手を求められた」(谷渕・石鍋)とあるが、殺そうと思っている相手に握手など求める筈はない。従って「握手を求められた」の部分を削除することを請求する。

 

5月11日(火)「尚史を迎えに行き市役所の介護認定室で満留と合わせた」(小塩主査・谷渕・石鍋立会)の部分は全面的に創作分である。ごく一部「ご飯を食べさせなかったことがあるかと詰問する」という文章が出て来るが、既に全開示の部分で述べたように、この時は私は画用紙を用意して母に「殴ったことがあるか」「ご飯を食べさせなかったことがあるか」「お小遣いを上げなかったことがあるか」と書いて母親に✖の印をさせたのみである。続いて「満留の口から、そんなにお前が言うなら今回は信用して、家に戻る。でも、言っていることが違ったら、また市役所に助けてもらえるか聞かれたので、デイサービスの時でも市に直接でも直ぐに言ってくださいと言う」と書かれているが、これも母親は保護措置から早く出せと言っており、母自身が否定しているのだからこれほど明白な証拠はない。従って、「満留の口から、そんなにお前が言うなら今回は信用して、家に戻る。でも、言っていることが違ったら、また市役所に助けてもらえるか聞かれたので、デイサービスの時でも市に直接でも直ぐに言ってくださいと言う」の部分を削除することを請求する。このように開示された私たちの公文書は作り話ばかりである。

 

 平成22年5月14日(金)午後15時から16時30分 自宅にて<戻る自宅の状況確認 那田満留、尚史、市同席による確認>は非常に重要な記録である。以下引用する。

 

 ◎部屋に入るまでの状況

 

 「息子はパソコン室として使っている3階の302号室が整理されているので、そこに母を住まわせようと考えていた。母は今まで上がったことも無いため一度は拒否したが、確認に3階まで上がることとなった。しかし、足が上がらずかなり大変で、途中で息をついていた。階段は蹴上げも大きく、手すりは2階までは介護保険の住宅改修でつけてはいるが、その先は無く、また、踊り場には手すりがないためかなり危険であった」と記してあるが、母が保護措置になって以来、途中で帰ったことは一度もない。この一文を証明する証拠を見せよ。これは私だけでなく母親にも確認済みの問題であり、他の記録同様、完璧な創作である。誰が考えても202号室が空いているのに手すりもない302号室に89歳の母親を住まわせるはずが無い。これは狂人の理屈である。

 

 また、存在しないものを証明させるのを「悪魔の論理」と言うが、審査会並びに法制課が私たち親子に強要しているのはまさに悪魔の論理である。従って同じ方法で母が302号室に戻ったことを「数量的客観的に」証明することを要求する。

 

 ◎面接内容 尚史

 

「母がこちらに来て渡した700万の使い道に」とあるが母が私に700もの大金を渡した証拠を見せよ。続いて「家を売ったりして何千万というお金が入るのに」(上と同様石鍋氏の発言)とあるがそんなに高く売れる筈はない。現実には1千万程度のものである。従って、「母がこちらに来て渡した700万の使い道に」の部分と「家を売ったりして何千万というお金が入るのに」の部分を削除することを請求する。これを見てもいかに面接等記録がデタラメか嫌になるほどよく分かる。なた「息子や娘が帰って来たらアルバイトのお金も入れてくれる約束である」とあるが、既に述べたように「ひめしゃら法律事務所」の杉野公彦弁護士に確認すること。私は娘が予備校時代にもアルバイト禁止と言っており、息子のためなら第一ビルを売ってもいいと述べている。従って、「息子や娘が帰って来たらアルバイトのお金も入れてくれる約束である」の部分を削除することを請求する。

 

続いて[満留]として、「息子は10年前と性格がすっかり変わってしまった。自分の将来や息子の将来をもう一度考えて欲しい」と母親が言ったことになっているが、証拠を見せよ。(そもそも全ての開示された文章にサインが無いのだから信憑性はゼロである。審査会は複数の職員が立ち会ったことを証拠としているが、毎日のニュースを見れば公務員の犯罪だらけである)

 

平成22年5月20日(木)午後3時から16時30分

 

◎今後の介護サービスについて

 

の部分に尚史が「尚志」と誤記があるので訂正すること。

 

 平成22年6月10日(木)午後1時15分(これは私が母が解放されたことで緊張の糸が緩み2週間の間意識不明の危篤になっている時の記録である)

 

 <病室での状態>として

 

「酸素に点滴でおむつをしていた。両手にはミトンをはめ、両腕および胸を拘束している状態であった。最初は会話も難しいといわれ、一方的に伝えていたが、途中からは返事をするようになり、会話が出来る状態で、最後には携帯電話を貸してくれ、拘束されていることを訴えると話す状態だった」と記されている。しかし、拘束されていたのは両腕と両足である。しかもミトン(ボクシングのグローブのようなもの)を付けた状態で携帯など掛けられるはずはない。しかも意識不明の危篤中なのである。この文章は論理性が欠如し矛盾だらけである。従って、両腕および胸を拘束している状態であった。最初は会話も難しいといわれ、一方的に伝えていたが、途中からは返事をするようになり、会話が出来る状態で、最後には携帯電話を貸してくれ、拘束されていることを訴えると話す状態だった」の部分を削除することを請求する。さらに「2日前から入院したばかりであるが、何週間も前からいると話すため、問いただすと健忘症になったと話す場面もあった」とあるが、肝硬変では健忘症にならない。これは肝性脳症の過ちである。伊藤元市議が証言してくれたように、高齢者福祉課は医学的な面でも法的な面でも専門家がおらず人材不足の典型的な例と言わざるを得ない。従って健忘症の部分を肝性脳症に訂正することを請求する。

 

 <那田満留・尚史面接等記録>

 

平成22年6月22日(火)午後1時~3時には完全に欠如した文章がある。甲第4号証 を参照して頂ければ分かるが、私は「忘れられない病気」があるので以下のブログに書いた文章は正確なものである。

 

 私が入院していた多摩相互病院の医師が不在の夜間に看護士たちが悪いことをしないよう、母が夜も付き添うことを条件に出していたため高齢者支援課の職員(谷渕のこと)もその場に来ていた。私は母を監禁していた当の相手に「新入居者(近藤昇のこと)の本契約を済ませていないから早く帰らないといけない」というとその職員は「本契約はハウスコムとの間でもう終わっていますよ」とニヤニヤ答えた。私は意識不明のときに子供たちの夢を見続けたので「子供たちが帰って来るかもしれないから」というと「子供は帰っていませんよ」と答えた。

 

 高齢者支援課の一職員が何故私の営業内容や家族問題まで把握しているのだろう?誰でも不思議に思うに違いない。これまでに起こった事件を俯瞰的に見れば直ぐに謎は解ける。つまりこの職員と上司たちはまず間違いなく創価の手先だと私は推理している。(中略)だから私はその職員(谷渕のこと)に「お前は池田大作の犬だろ?犬ならごちゃごちゃ言わずにワンと鳴け」と怒鳴った。職員は「そこまで言いますか?」と言い返したので、「当たり前だろ。ほらワンと鳴いてみろ」と挑発した。(ちなみに情報公開請求した結果、この会話は省略されており、私が手足を拘束され、異常者でもあるかにのように書いてあった)。以上の会話は現在仁和会総合病院に勤務されている小宇佐先生が聞かれている。嘘だと思うなら042-644-3711に電話して確かめること。

 

以上である。これで高齢者福祉課の面接等記録がいかにデタラメで恣意的なものか分かる。

 

 更に甲第5号証 を参照されたい。これも私のブログに書いた文章である。

 

この中に、谷渕は母に「息子さんに殴られたのでしょう。ご飯も食べさせてもらっていないでしょう。お小遣いを渡さないのも暴力ですよ」と誘導しようとしたが、母は断固として否定し、保護措置の施設(特養などが使われる)の事務員に、「ここから出せ、どうしてもダメというなら一度戻ってまた入る」と掛け合った。という一文がある。母が保護措置になったのは経済的精神的虐待となっているが、実際は谷渕はこのように私が暴力を振るったことにしたかったのであり、母を監禁しているのである。さらに、ブログには

 

 それのみならず、肩の痛みを訴える母を一週間も放置した。このとき母は「地獄の痛みに耐えた一週間だった」と語っている。保護措置にして一週間後やっと谷渕等はなぜか再び同じ病院(八王子山王病院のこと)に連れて行き、前回と同じく「五十肩」と診断され、その時は湿布が出たようだ。(この部分は私の訂正(削除)請求の中の隠し玉になるので非常に重要な文章である。) とりあえず「五十肩」の部分を削除することを請求する。そのまま合計一カ月監禁が続いた。今でも母はその後遺症で右手の握力がほとんどない(これは不作為の傷害罪である)。(中略)

 

 私は緊張の糸が切れてその直後に2週間の意識不明の危篤に陥った。奇跡的に意識を回復してまもなく、谷渕の指示により保健所職員(中村=女性、とその部下=男性)が病室に来て、断酒治療をするため精神病院に入るよう促した。危篤から回復して治療中なのに精神病院などに入ったら私の体はどうなるのか?母の介護はどうなるのか?様々な手続きや生活のための営業活動も全く出来なくではないか?と説明してどうにか追い払った。呆れたことに同じ職員が後日伊藤市議の経営するデイサービスに来て母に「息子さんを精神病院に入れるように」と繰り返すので摘み出されたらしい。どうしても私を精神病院に入れたい理由があったのだろう。これは甲第2号証 の伊藤先生の証言書4頁にも同じことが記されているので明らかな事実である。最終的に精神病院に入れて敵対する人物の社会的地位をゼロにするのは所謂集団ストーカーの手口であり、集団ストーカーと言われる連中の中心をなしているのが創価学会であることは常識中の常識である。

 

 従って既述したように妻子の失踪から母の保護措置は創価学会による陰謀と言わざるを得ない(すでに私が創価学会の第一の標的になっていることは母の妹・山田扶亀子の証言書において提出済みである)。

 

 以上で私の訂正(削除請求を終えることにする)                                 

 

最後に審査会と八王子市長に対して決定的な証拠を突き付けることにする。甲第6号証をご覧になれば分かるように私と母は審査会会長 花見常雪殿の対して参考人として1.佐藤恵美ケアマネージャー。2.うぃずサービス責任者・中島氏(女性)。3.同家政婦、大木元子(素子かもしれません)。4.当時の地域包括支援センターの担当者。並びに必要な調査事項として、1.母が保護措置にされる前日の編成22年4月19日に救急車で運ばれた八王子山王病院が保有する母のカルテとレントゲン等の諸資料、並びに高齢者福祉課が同年4月27日に同病院に母を連れて行った際の同資料、を求めたのに対し、

 

「25八情査収14号の6 平成26年112月19日」には審査会会長 花見常行の名前で以下のように返答している。

 

参考人陳述について(理由)

 

平成26年12月8日付で申出のあった、あなたが提起した異議申立てに関する参考人の陳述は、下記の理由により行いわないこととしましたのでお知らせします。

 

 

理由 当審査会は、申立人および実施機関のそれぞれから提出された資料および申立人による口頭での意見陳述等によって、十分審査が可能であり、申立人から申出のあった参考人による陳述等については、審査会の審理において、これを行う必要がないと判断したため。

 

とある。

 

参考人による陳述等の「等」の中には資料としてカルテを取り寄せることも入っている。

 

ところが審査会が私の申出を否定したために、私が自ら八王子山王病院に行きカルテを取り寄せたところ実に驚くべきことが書いてあった。私の申出と推理が見事に当たっていたことが分かったのである。

 

既に提出済みの第3号証3頁において大木元子(素子)は「1週間前から風邪症状の女性(尚史注;母・満留のこと)は、5,6日前に洗濯機から布団を取り出そうとし際に両肩を痛め、我慢していたが動かすと痛いので救急要請となったもの」と述べている。        

 

しかし私が八王子山王病院から取り寄せたカルテ甲第7号証(原文の読みにくい部分は医事課の小島氏より解説を受けて私が赤ペンで書き加えている)の2頁において母の言葉として「本日布団をせんたくしてから出した際に痛み」と述べている。これは大木の消防隊への証言が嘘であったことの有無を言わさぬ証拠である。なぜ嘘をつく必要があったのかは、既に私が甲第6号証の中で推理したように大木氏は内通者であり谷渕氏の仲間だからである。

 

更に母に部分開示された個人情報の「那田満留に関する経過」平成22年4月27日(火)に谷渕、須賀の名前で「施設から、肩が痛いとの訴えと微熱があるとの連絡があり、満留を八王子山王病院に通院させる。レントゲンを撮ったが肩は異常なし。50肩の症状とのことで、痛み止めと湿布をもらう」と記されいる。

 

しかし甲第7号証の1頁を見れば分かるように、救急車で運ばれたときは「両肩挫傷」となっている。これは要するに怪我をしているという意味である。既に挫傷と診断したために二度目は「両肩関節周囲炎」と診断したに過ぎない。俗称50肩のことだが、肩の可動域が狭い場合を一般的にこのように記すことが多いとのことで、詳しい説明は審査会から要請があれば中村医師が行う準備があるとのことだった。従って谷渕、須賀両名は杜撰な記録を残したことになる。

 

更に3頁には「現在特養に入っているとのこと。息子はアル中」と記されている。もちろんこれは中村医師が知る筈もなく、医事課の小島氏によれば「付き添いの人が話したようです」と述べているように谷渕、或いは須賀氏が述べたものに間違いない。これまでの経過を見れば谷渕氏の言葉と推理できる。両者とも医者ではないのだからアル中と断定する資格はなく、息子はアル中、特養に入っている、と言えば伝播可能性の法理を待つまでもなく、医師、看護師、薬剤師に私の悪評が広まるため、当然これは名誉棄損になる。

 

更に市職員と一目で分かる服装で「息子はアル中、特養から来た」と言えば容易に保護措置を類推させる。従ってこれは八王子市個人情報保護条例「第58条 実施機関の職員又は職員であった者が、その業務に関して知り得た個人情報であって公文書に記録されたものを自己若しくは第三者の不正な利益を図る目的で提供し、又は盗用したときは、1年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する」に当たる。

 

問題は「自己若しくは第三者の不正な利益を図る目的で」の部分である。仮に谷渕氏が創価学会員若しくはそのシンパだった場合は池田大作の言葉通り「創価学会を批判する仏敵は野垂れ死にするまで攻め抜け」の言葉通りに行動したことになり、八王子市個人情報保護条例第58条が適用される。谷渕氏が創価学会員若しくはそのシンパかどうかは、私は東京都公安委員会から認可されている探偵なので探偵のネットワークを使えば容易に分かることだが敢えて審査会にゆだねることにする。

 

更に谷渕氏を起案者とした当時の高齢者福祉課は1.名誉棄損。2.職権乱用罪。3.監禁罪。4.虚偽文書等作成の罪、等々を犯している。

 

従って谷渕氏らにその権限を与えた八王子市長に辞職を求める。

 

最後に再度要点を整理する。

 

①審査会は私が提出した参考人招致を拒否したことに対し謝罪すること。

 

②審査会は谷渕が創価学会員或いはそのシンパであるかないかを証明すること。

 

③私と母に関する個人情報を全て削除すること。

 

④実施機関の長である八王子市長は辞職すること。

以上

 

 八王子市役所

私は創価学会員を全否定している訳ではありません。中には非常に純粋な人たちもいます。私自身が2歳から創価中学を批判して自主退学する中学3年生までは創価学会員でした(但し、当時は日蓮正宗に入信すると自動的に創価学会員になるシステムだったので入会届は出していません)。また母親は実質的に愛媛県の最高幹部で竹入、矢野たちと一緒に四国を折伏して回り「四国の一粒種」と呼ばれていました。なんと200人も折伏し、大半は友人の手柄にしたそうです。現在の創価学会員の中に200人も折伏が出来る人など一人もいないでしょう。その母は議員になれと言われても断り、仕事を休んで折伏と選挙活動、また自宅を座談会の場に提供するのみで権力に付くことを拒んできました。

私が創価学会を批判するのは、財務で生活するプロ信者や関連企業、外郭団体、また司法官憲などの間にいる権力を持った人々です。例えば、山口組系後藤組組長が公明党が4人の暗殺依頼をしたことを「憚りながら」で暴露しても検察は動きませんでした。それのみならず、JTBによる公明党議員への署名要請(弁護士ですらこれを事前運動と言っていますが、いついかなる場合でも署名を要請することは選管法違反です)、また例のパソナの闇も検察は動かず、憂国の士にして「公明党をぶっ潰せ」と言った田母神閣下を逮捕する始末です。これが冤罪であることは少しでも創価=公明と闘った経験のある人には誰でも分かるでしょう。

私は何度も自公連立政権は後世の歴史家から「政治の暗黒時代」と呼ばれると述べてきました。勝ち組負け組、という言葉が流行し、金儲けのためなら何でもするという風潮になっています。あの前科者のホリエモンがコメンテーターとしてテレビに出る始末です。このようにマスメディアも芸能界も創価が牛耳っている時代に、良心のある人たちは発言の場を奪われています。私は愚直なのと死ぬときに後悔したくないのでこのように創価学会批判を大っぴらに行っていますが、普通の人では「創価大学城下町」と言われる八王子でこのような真似は出来ないでしょう。

最も怖いことは、このような状況が続くと時代のエトスが最悪になり日本人の美徳が壊れてしまうことです。私が批判して一時期ブログ停止になったKなどはこの時代の申し子と言えるでしょう。

私は創価学会は外部からではなく内部から変化すると予測しています。解釈改憲に反対した「婦人部の反乱」や創価大学の非常勤講師たちがその先陣に立っています。そして最後は池田大作の死が公になった時に決定的な変化が起こることでしょう。明日はこれからある春名先生を囲む会の報告をいたします。

昨日開かれた「春名先生を囲む会」の内容

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集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(決定版が出て既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げました) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531 電子出版される可能性もあることをお知らせします。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。来月の春名先生を囲む会は柔道整復師の方が「気」について講演されます。興味のある方は第三金曜日7時半に夢庵西八王子店に来てください。正面から右のテーブルか座敷で開かれます。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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 昨日は春名先生と柔道整復師でデイサービスを経営されている方とデイサービスの利用者と私の4人で春名先生を囲む会が開かれました。今回は春名先生の施術(拘縮コンディショニング)は行われませんでした。そこで話が談論風発的で一貫性が無いことを先にお断りしておきます。

春名先生は理系の文系、私は文系の理系ですが、新に参加された柔道整復師の方は私の文系的な側面と気が合ったらしく、ほとんど私と柔整の方の会話で終わりました。今の政策では小さなデイサービスが潰れるとのことでした。私が次回の話題にしようと思っていることですが、微笑禅の会員の数人は電車に乗ると頭のおかしな人の気をもらってしまうので電車に乗れない話をしたところ、電車のモーターからは高い電磁波が出ているために電車の運転手には心臓病が多いとの話でした。

それからユリゲラーの話になり、彼が曲げたスプーンの断面図は手で折ったものでは無く本物の力があり、彼は瞑想によりニュートラルな状態で不思議な力を発揮するとのことでした。

 

また電磁波の話になり、分杭峠ではゼロ磁場になる話をされました。私もテレビでその場所で取材しているのを見たことがあると答えました。さらにモーツアルトの音楽を聞かせるとバラの花が大きくなったり、乳牛の乳の量が増えるという話になり、それもF分の1の波動が効いていると春名先生が教えてくれました。またパワープレートという振動するマシンにスポーツ選手が足を乗せただけで体が暖かくなるとのことでした。私はFT(フィンガーテスト)という不思議な施術の話をして腸が冷えると癌にかかりやすいと教えました。

ドイツとブラジルではYNSA(山本式頭針学会)というものがあり保険が適用されているそうです。それは頭に鍼を刺すもので、中国の少林寺拳法と同じだという話になりました。

話は飛んでキリスト、弘法大師、日蓮の話を私がして、日蓮だけが奇跡を起こした事を直筆で残していたことを教えました。

柔整の先生は居合をされており香取神道流の使い手とのことでした。そこで黒澤明監督の「椿三十郎」のラストシーンで三船敏郎がどのような技で勝ったのかわからないとのことでしたので、あれはお互い居合で闘ったが、三船は左手で剣を抜いて相手の右側に抜ける瞬間にしたから相手の胸を斬った、と話したところ長年の謎が解けたとのことでした。その後は映画の様々なエピソードについて私が語りました。

柔整の先生は本来は左翼思想の持ち主だったが、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んで右側に振り戻した、と話されました。

私は郷里愛媛で竜馬研究会に属していたことから、竜馬を斬った男の話をかなり具体的に話しました。また愛媛は日本海海戦の時の名参謀・秋山真之が出ていることから歴史の話になり、最終的には神秘的な現象はそのまま現象として認め、学者が後からそれを理論づけすればいいという話で終わりました、。

八王子五行歌会からネット歌会の結果を発表します。

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集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(決定版が出て既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げました) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531 電子出版される可能性もあることをお知らせします。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。来月の春名先生を囲む会は柔道整復師の中溝誠吾氏が「気」について講演されます。興味のある方は第三金曜日7時半に夢庵西八王子店に来てください。正面から右のテーブルか座敷で開かれます。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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一席


四ッ谷の店は夜の底
背広姿で駆け込む人を
待たず切子の空きグラス
残すあの日は花氷
若く冷たく愛しい昔   せん

二席


照りつける太陽を
かき氷真っ白な雪
レッド ブルー グリーン
ポップな幸せ
頬ばみみんな笑顔    大橋

三席


五行歌はやめた
と氷のように
固めた心の壁を
溶かしてしまった
Nさんの熱意     津希


缶ビール
麦とポップが
氷になって
胃に染み透る
夕立の夜      那田尚史


氷山消えて
海膨れ
国土を浸す
泣くな南の島人たちよ
世界は君を見捨てはしない  GENTA

四席


君の
言葉のはしで
わが心
こおりゆく
思いのして    kassy


氷のように心を閉ざし
去る者追うなと
言ってはいるが
孫に似たれば
振り返る         みつる


太陽の陽だまりに
溶ける氷の心地よさ
キラキラと輝く
水の妖精たち
夏の海に飛び込め   持国天

五席


知性と情熱
氷と火を
胸の奥深く
隠し持つ男は
今異国の地に眠る タカヨシ

六席


太郎 次郎
夜色楼台図
ラッセルの
氷の汗の迫力は
ハンパないハンパない 吉田進一

以上です。次のネット歌会は1月に入って募集要項を発表します。既に題詠は「風」と決まっています。八王子五行歌会にはローカルルールにフライングというものがあり、募集要項の前に作品を投稿することが出来ます。このブログを読んでいる方で我こそはと思う方は http://gogyoka.bbs.fc2.com/ に投稿して下さい。初めての方は、ひさし、の右側のロゴを押すとメールが送れるようになっているので簡単な自己紹介をお願いします。

 

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